13. カネッテイを読んで――スペイン史解釈とユダヤ人問題 (1982年)


カネッティを読んで

  スペイン史解釈とユダヤ人問題




カネッテイとの出会い

  昨年度(一九八一年)のノーベル文学賞は、ブルガリア生まれのユダヤ系作家エリアス・カネッティに与らえれた。といって私自身は、その成果が具体的に検証できる(と思うのだが)自然科学の分野ならいざ知らず、いったいどの基準や尺度で文学賞が決定されるのかはなはだ疑問に感じているので、ふつう受賞者の作品をわざわざ読むようなことはしない。しかし今回は、まったくの偶然からではあるが、受賞が決まる二週間ほど前から、カネッティの代表作の一つ『眩暈』のスぺイン語版を読んでいた。いや偶然からというよりごく初歩的な勘違いからである。
 というのは、それより何か月か前、スペインに発注する本のリストを作ろうと新刊目録をあさっていたとき、『眩暈』のスペイン語版タイトル “Auto de fe” (宗教裁判での火あぶりの刑)にまずまどわされたのである。てっきり異端審問の研究書だと考えてしまったのだ。さらに著者についても勘違いをした。つまリスペイン語圏の人だと思ったのだ。もっともこれは、後に知ったことだが、彼の名前が古いスぺインの町カニェーテに由来するから、まったくの勘違いとは言えないが。
 実際に本が届いてみて、もちろん間違いにはすぐ気がついた。そしてこの作家の作品が、すでに岩田行一氏や池内紀氏の訳で、かなり紹介が進んでいたことに遅まきながらも合点したしだいである。邦訳がすでにあるのに、ドイツ語原文のものをスぺイン語訳で読むのは馬鹿げている。それでいずれ邦訳のものを読むことにして、しばらく書棚の隅に放っておいた。それが、前述のように受賞決定の二週間ほど前、なに気なく手にとって作者紹介を読み、彼が十五世紀末にスぺインを追われたユダヤ人の末裔であることを知って、にわかに興味を覚え読みはじめたのである。またそれと平行して、彼の自伝『救われた舌』や対談集『断ち切られた末来』(いずれも岩田行一訳)も読みはじめ、いよいよこの作家に興味を覚えるようになった。作品が描き出す異様な世界もさることながら、彼の生い立ちとその言語体験の特異さに惹かれたのである。ここはひとつ池内氏の解説を借用しよう。
 「カネッティの言語操作の独特さは、おそらくはその生得の資質に由来する。一九〇五年、ブルガリアに生まれた彼の母国語はブルガリア語ではなく、一九二八年の亡命以後、イギリスに定住し、著作の全てをドイツ語により発表しながら、ドイツ語は少年時に修得した異国語にすぎぬ。彼の母国語は――これをしも、なお《母国語》と称し得るならば――十五世紀の古スペイン語だ……この古風な、ほとんど人工語と化した言語こそ、カネッティが幼時の舌に習い憶えた言葉であったのであれば、彼にとっては操作すべき言葉とは、前もって人工の産物以外の何ものでもない。」
  カネッティ自身、ビネークとの対談でこうも語っている。

「時折りわたしは自分がドイツ語で書くスペインの作家のような気がします。わたしが昔のスペイン人たちの作品を、たとえば『セレスティーナ』あるいはケべドの『夢』を読むとき、自分がかれらの口を通して語っているのだ、と思います。かれらとわたしがまさに渾然一体となってしまうのです。この稀有なるものを知ることがわたしに力を与えてくれるのです」(岩田行一訳)

 ここでカネッティが『セレスティーナ』を挙げているのは、彼自身そうと意識してかそうでないかはともかくとして、たいへんに興味深い。なぜならその作者フェルナンド・デ・ロハス(一四六五頃–一五四一)の中にも、カネッティと同じ血、ユダヤ人の血が、流れていたからである。つまりロハスは改宗したユダヤ人だったのだ。



スぺイン史観をめぐる論争

  さて与えられた紙幅にしては長いまわり道をしてしまったが、ここでようやく拙文の主題に入ることができる。つまりスペイン史解釈におけるユダヤ人問題である。御承知の方もあるかと思うが、この問題はすでに一九五〇年代から六〇年代にかけて、アメリコ・カストロとサンチェス・アルボルノースとのあいだのスペイン史観をめぐる有名な論争で論点の一つとなったものである。つまりスペインがなぜヨーロッパ近代に遅れをとったかに関して、カストロはそれを、異端審問的な血の純粋性への偏執によって中世的な多元性が失われたことに求め、アルボルノースの方は、スペインがその国力をヨーロッパ、新大陸、そしてハプスブルグ帝国へと分散させたことによる全身麻痺に求めたのだ。
  以後、スぺイン史学界は言うに及ばず、世界中のスペイン研究者たちは、そのどちらかに与することによって二分された感がある。ただこれは私のまったく限られた範囲での感触だが、カストロの説に対しては賛成者反対者を問わず、まるで腫れ物に触るときのように神経質になる人が多い。なぜか。ユダヤ人問題がからんでいるからである。
  つまりカストロは、かつては平和に共存していた三つの血統(カスタ)、すなわちキリスト教徒、イスラム教徒、ユダヤ教徒、から成る多元的な世界が終焉し、血(古くからのキリスト教徒の血)の純粋性が強力な体制側イデオロギーとして機能したとき、存在の根基を奪われた改宗者ならびにその子孫たちがいかにしてアイデンティティを獲得せんとしたか、その痕跡をいたるところに嗅ぎつけていったのである。この場合、特にユダヤ系改宗者のそれが重大だ。なぜなら、ユダヤ人の多くが都市生活者であり知識階級に属していたからである。
 カストロが綿密な実証の末にユダヤ系改宗者として認定した知識人の名前を見て、その数の多さよりもその文化史的重要性に驚かない人はいないであろう。まず筆頭はセルバンテス、次にラス・カサス神父であろうか。さらにはスぺイン最高の人文主義者で国外で活躍したルイス・ビーべス、国内で活躍したルイス・デ・レオン、エラスムス主義の大立て者フワンとアルフォンソのバルデス兄弟、国際法の先駆フランシスコ・デ・ビトリア、ピカレスク小説の嚆矢『ラサリーリョ・デ・トルメス』の覆面作家、同じくマテオ・アレマン、そして意外にも(といって人間心理の深淵を考えれば当然ともいえるが)異端審問官の大物トルケマーダ、スペイン神秘主義の巨峰聖テレサ……。



黄金世紀における改宗者問題

  こういう錚々たる名前を眺めていくと、スペイン黄金世紀がその重要部分をまさに改宗者に負っていたということが納得させられる。しかし、いまさら断るまでもないことだが、この場合重要なのは、彼らがユダヤ系であることそれ自体ではなく、スべイン全体を覆った血の純粋性への偏執が、彼らの生に落とした影の方である。つまり以後現代まで続くスペイン的生の基調が、これらユダヤ系知識人によっておおよその輪郭が与えられたということである。すなわちアイデンティティの執拗な探究、可能性よりもむしろ不可能性に対ずる苦悩に満ちた希求がそれである。
 かくしてスペインは、郷士、神秘家、芸術家、夢想家、征服者の国となった。ウナムーノの言う生の悲劇的感情、カストロの言う生の不確実性の意識、さらにはオルテガの言う難破者の意識なども、その起源を遠くこれらユダヤ系知識人に負っていると言っても、あながち牽強付会とはいえないであろう。
 このユダヤ人問題がスペイン的生に与えた衝撃の強さは、次のような皮肉な事実によっても確認できる。すなわち体制側が自分たちの身元(アイデンティティ)の拠り所とした血の純粋性への矜持そのものが、実はユダヤ系スぺイン人たちから無意識裡に引き継いだものだということである。ここでふたたびカネッティ氏に登場してもらおう。彼はブルガリアに住みついたユダヤ人のあいだで、血統にまつわる誇り、尊大さがいかに強いかについてこう語っている。
 「彼らは独自のユダヤ人を自任しており。しかもそれは彼らのスペイン的な伝統にかかわることであった……素朴な自負をもって彼らは他のユダヤ人を見下したし……ある人間についで耳にすることのできる最も誇らしい言葉は、<彼は良い家の出だ>であった。」(岩田行一訳)
 思えば皮肉な話ではある。しかし事実は事実だ。そしで近代スペインの始祖とも言うべぎカトリック王フェルナンドからして、その血の何分の一かはユダヤのものであるようなお国柄であってみれば、純粋なキリスト教徒の血を主張できるのは、根っからの百姓であるサンチョ・パンサだけということになる。血の純粋性が体制側イデオロギーとして、つまり建て前として、いよいよ硬直していったのも無理からぬ話である。スペイン史の分かりにくさ、その謎のすべてをユダヤ人問題のせいにすることはできないが、そのもっとも重要な要素の一つとみなすことは可能だ。



スぺイン文化の見直し

  最近スペインで刊行される書籍のリストを見ていて特に気がつくのは、異端審問や改宗者問題に関するものがとみに増えていることだ。思想の自由化にともない、スぺインとは何かという問題意識が、カストロやアルボルノースのとき以上に切実なものとなってきたことの証左であろう。もちろんブーム現象といった側面無きにしもあらずだが、スペイン史ならびにスペイン文化の根本からの見直しが、ここいらあたりからなされることに期待が持てそうである。
 ところで話はいささか飛躍するが、ハプスブルク・スペインのユダヤ系知識人が抱えていた問題が、十九世紀末から二十世紀初頭にかけてのヨーロッパ、もっと限定するならハプスブルク・オーストリアを中心とするドイツ語圏のユダヤ系知識人のそれと重なる部分が意外に多いことに気がつく。両者とも絶えず自己の身元を確認せざるをえない位相にあったがために、たんなるユダヤ人性(ジュディテ)を突き抜けて、現代性のかかえる課題に逢着し、それと思想的に取り組むことができたという点で、ほぼ同質の意識空間、問題領域を所有していたと言える。近年わが国でも二十世紀ヨーロッパのユダヤ人問題に関しては多くのすぐれた論考があるのでここでは触れないが、スペイン黄金世紀にあってはたとえばラス・カサスである。新大陸発見というとてつもない思想的大事件に対して、改宗者の血を引くという特殊な位相にあったがゆえに(もちろんそれだけではないが)、彼には同時代人が見ることのできなかったものが見えていた。たとえばセルバンテスである。彼は体制側に属したロぺ・デ・べーガなどと違って、つねにマージナルな位置に身を置き、絶えずアイデンティティの不可能性に直面せざるをえなかったがゆえに、近代小説の道を切り開いた。
 ともあれ彼らに共通するのは、まず第一に、存在の根基そのものを問題視せざるをえないことから来る生全体への鋭い透視力である。此岸と彼岸、可能性と不可能性、現実と虚構、見えるものと見えないもの、それらが全体として視野に入っている。そして第二の特性は、それと表裏一体にある彼らの不思議な言語能力である。
 実は私が改宗者問題に関心を持ちはじめたのは、ウナムーノが言う意味でのスぺイン哲学の源流、スペイン神秘思想を読み進める過程においてであった。特に聖テレサの場合、その伝記や作品世界に分け入るとき、どうしても改宗者問題を考えざるをえなかったという事情がある。そのためには黄金世紀そのものの改宗者的視点からの見直しが必要だが、その際、テレサの『霊魂の城』の世俗版、現代版たる『城』を書いたカフカや、フッサールの弟子でカルメル会修道女としてナチスの犠牲となったエディト・シュタインなど、現代のユダヤ人たちの問題を考えることも必要ではないかと思っている。もちろんカネッティを読みはじめたのもそのためである。

(『本』、1982年2月号、講談社)