14. 私にとってキリストとは何か(書評)(1973年)


私にとってキリストとは何か
 
(遠藤周作『死海のほとり』評)



 七年前に同じ著者によって書かれた『沈黙』は、各方面からさまざまな論議を呼び、世評もまた高かったが、この『死海のほとり』はいわばその続篇にあたり、氏が当然書かなければならなかった作品である。先の『沈黙』が、キリシタン迫害時代の日本にひそかに渡来した一ポルトガル入神父の挫折と棄教、苦悩する人間たちとそれに対する頑ななまでの神の沈黙をテーマとしていたのに対し、本書は舞台をキリスト生誕の他イスラエルに移し、「私にとってキリストとは何か」という作者年来の課題に熱っぽく取り組んだ作品である。
  構成にも工夫がこらされ、七章から成る「巡礼」と、六章から成る「群像の一人」とが交互に組み合わされ、現在と過去が交錯するという形式をとっている。「巡礼」は、一人の日本人作家、すなわち、「自分の堕落の証明でもあるような」娯楽小説を書いてはいるが、少年時代に「そう親からさせられて」キリストを選んだことに「こだわり」を持ち続け、「イエスが何であるか考えるために」聖地にやってきた「私」と、かつては熱心に聖書学を研究していたが、研究に深入りするほどにキリストへの信仰を失ってしまい、いまはエルサレムで国連の仕事をしている戸田という男、この二人の奇妙な巡礼行を扱っている。そして「群像の一人」は、キリストと同時代に生き、キリストと接触はしたがおよそ神の子らしからぬキリストの無能さに失望して彼を見捨ててしまう人たちを描いている。
 この構成からもわかるように、作者はキリストを舞台の前面に押し出しているのでもなければ、また聖書が描いているような偉大なキリスト、奇跡を行い、苦しみに雄々しく耐えたキリストを描いているのでもない。本書に登場するキリストは、いわば落ち目のキリストであり、「生活無能力者」、「何もできない男」、「疲れ果てた悲しそうな眼を持った」男である。そしてこのキリストを取り囲む群像の一人ひとりも、また「私」や戸田もどこか心にかげりを持った人間、偉大よりも卑小、光よりも影、強さよりも弱さに傾斜する人間たちである。もちろんこれは遠藤氏の愛着するキリスト教の影の部分、あるいはキリスト教の父の原理に対する「母なるもの」、を導き出すための不可欠の伏線であり、卑小、臆病、不信の人間たちを見捨てることなく共に苦しむ「同伴者キリスト」を浮き彫りにするための状況設定である。
 この意味で氏の手法は一貫性があり説得カもある。従来のキリスト像に安んていた人たちにとって本書のキリスト像は衝撃的であり、前作『沈黙』以上に物議をかもし出すであろう。氏のキリスト像に賛成するか反対するかはともかくとして、キリストにこれだけこだわり続ける作者の執念には脱帽せざるをえない。
 ところで本書が意欲的かつ挑戦的であることはまちがいないが、読後に何かふっきれなさを感じるのは何故であろうか。かつての僚友戸田について、「私」が次のような感想を述べるくだりがある。「卑怯でだらしなかった私はやがて自分の弱さに苦い諦めを持ち、次第に教会から遠のいたが、あの時むきになった戸田は聖書にもむきになったのだ。むきになった挙旬、みじめなキリスト像しか手のなかに握れなかった」。この戸田に対する「私」の評言が、そのまま作者にあてはまるというつもりはない。しかし作者の「こだわり」が、戸田の「むき」に非常に近いこともまた否めないのだ。たとえば、「愛という言葉を軽々しく言う修道女に出会った時、私は心中、あなたは男と寝たことがあるのかと笑いたいのをいつも押えねばならなかった」という「私」の反応などは、いささか被害妄想的であり、作品の持つ革新性、現代性とは裏腹に意外と古くさいセンチメンタリズムが透けて見える。 こうした反応は、裏を返せば一種無器用に現れた善意であると言っても同じである。つまり偽悪家めいた言葉が作者の肉声とおぼしき形で吐き出されるということは、それだけ作者が対象(たとえば作者にとっての正統的キリスト教の総体、あるいは光と影、偉大と卑小、罪と恥などというドラマを可能にする枠組みそのもの)に寄りかかっているからだと言えなくもないのである。
 前作『沈黙』で、土壇場のロドリーゴに神の声を聞かせたのは作者のそうした善意であるというのが私の率直な感想であったが、今回の作品でも、たとえば飢餓室に連れてゆかれるねずみ(コバルスキという元修道士)のかたわらに、同じく尿をたれながら歩いてゆくキリストの姿を二重写しにせざるをえなかったのも同じ善意からであると思われてならない。そしてこの場合、善意あるいは説明過多はむしろ裏目に出て、作品の持つ迫真性、現実性を殺ぐ働きをしている。むしろ期待したいのは、思いきった省略法、あるいは度胸をすえた異端性であると言ったら、それこそ悪意に満ちた注文であろうか。

『朝日ジャーナル』一九七三年九月二一日号