16. “歴史”の行間を読むということ(1984)


“歴史”の行間を読むということ



「近ごろずいぶんユダヤ人問題にこだわっているそうじゃないか」
「ユダヤ人? ああそうか、正確に言うとだね、スぺイン史におけるユダヤ系改宗者の問題ということだが」
「たしかに最近スペインでは改宗者問題とか異端審問とかに関する本が多く、というか異常なまでに多く出版されてるようだな。しかしそれはどうもブーム現象の域を出ないんじゃないの? スぺイン史の見直しという意味では必ずしも意味なしとはしないけれど、しかしもう少し科学的な方法、たとえば法制史の研究とか経済基盤の研究とか。つまりスペインを特殊な視点から見るのではなく、広くヨーロッパ研究とも通底する」
「ツウテイ? 何だいそりゃ?」
「つまり底で通じる、共通項を持つ、という意味の新造語だが、いいじゃないか話の腰を折らないでくれよ。要するにもう少し広い視野からの見直しの方が必要じゃないかな」
「君の言わんとしていることは分かるよ。たとえば黄金世紀のだれそれは改宗者の血を引いてるということが実証されたとしても、だからといってそのだれそれの作品なり業績なりの価値がどうこうというわけでもないんだから」
「そうだろう、それに君がこれまで読んできたウナムーノとかオルテガ、A・カスト口流のスペイン論は、スぺインの特殊性を強調するあまり従来のスペイン論とは逆の方向の袋小路に導きかねないのではないかな。ビセンス・ビーベスも批判しているように」
「ビーベスでちょうど思い出したんだが、もう一人のビーべス」
「十六世紀のウマニスタ、ルイス・ビーべスのことかい?」
「そう、そのビーべスだが、彼が改宗者の血を引いてることは君も知っているだろう?」
「またユダヤ人問題か、それがどうした?」
「そうひらき直られても困るが。最近ビーべス論を読み直しているうちおもしろい事実にぶつかったんだよ」
「彼がユダヤの出自であることから来る不安や不満を作品中に吐露しているとか?」
「いやまったくその逆なんだ。つまりだね、彼は自分が改宗者の血統を引くことをひたかくしにしているだけでなく、それをむしろ偽装していることを明瞭に示す書簡があるということなんだ。一五二四年に彼が親友のクラネべルトに宛てた手紙の中にこういう一節がある。 “スぺインからの知らせはとても悲しいものばかりなので、つい悲観論に傾かざるをえないのです。貴兄に手紙を書いている今もいま、祖父の一人が死んだという悪い知らせがとどきました。私がとても愛している祖父で、自分の家のこと以上に私たちの家族のことを心配してきた人なのですが……”。ところがだね、調べてみると実は祖父の死などまったくの嘘っぱち。死んだのは彼の父その人でね それも自然死ではなく刑死」
「殺人でも犯したのかい?」
「フダイサンテ、つまり隠れユダヤ教徒として焚刑に処せられたのさ。このときビーべス自身は異端審問所の手のとどかないロンドンにいたわけだし、心を許した友がビーべスの不利になるような事実をバラす心配もないのに どうだいこの警戒心は?」
「なるほど少し異常だな」
「しかしそれも無理からぬところもあるんだよ。というのは,ビーベスの肉親のことを調べていくとだね、何人もの人が焼かれているという事実があるんだ。たとえは叔母の一人が一五〇一年、さらに叔父の一人が一五一三年、さらに別の叔母が一五三四年に焚刑に処せられるといったぐあいに」
「文字通りキナ臭い一族だね。僕などはオルテガやマラニョンのビーベス論で人文主義者ビーベスを知ったわけなんだが、そこではビーべスがユダヤ系だったことなどまったく触れられていないね」
「ビーべスのユダヤ系説が立証されたのが一九六四年だから、それも無理はないと思う。しかしオルテガのような稀代の目利きもこの点に関してはミソをつけたわけだ」
「しかし繰り返しになるけど、彼がユダヤ系であることが事実だとしても、それが彼の業績たとえば古典学や人間学の領域での業績とは何の関係もないじゃないか」
「直接的な関係はないかも知れない。しかしだね、彼の生涯において一五二二年はたいへん重要な年なんだが。つまりその年アルカラ大学のネブリハが」
「あゝ、あの当代随一の言語学者のネブリハね」
「そうそのネブリハが死んで、その後継者としてビーべスが指名されたのに彼が帰国をことわった年なんだが、もしそんな重要な決断が彼のユダヤ人としての出自が関係していたとしたら、はたしてそのことを無視していいものだろうか」
「だって君のおはこを奪うつもりはないけど、そのネブリハにしてもユダヤ系だったという説があるんじゃないのかい?」
「そう。だけどネブリハの場合はそれをうまく処理したんで。つまり乱暴なことを言ってしまえば、その問題を受け止める個々人の性格とか条件によっていろいろなケースが考えられるわけで。ともかくビーべスのばあいはそれを深刻に受けとめていたふしがあるんだ。そして彼の心配もキユウでなかったことは後の事実が証明している」
「彼の父親が異端審問所によって焼かれたことかい?」
「そればかりじゃないんだ。実はその事件をきっかけにして すでに一五〇八年に死んでいる母親の遺体までが掘り起こされて改めて焼かれるというおまけまでついているんだ」
「それはまたムゴイ話だね。宗教がからむとどうしてこうザンコクになるんだろうね」
「それをマラニョンなどは、ビーべスが教授職を蹴ったのは、それが放浪癖のある当時の人文主義者の流行だったからとか反抗的な性格だったからなどと気楽に考えている。その決断の背後に深刻な葛藤があったことなど考えてみもしない」
「なるほどその決断はビーべスのその後の思想遍歴にとっては重要な決定だね」
「マラニョンの名前が出たんでついでに言っておくと、たとえばビーべスの『対話(Diálogos)』の中に美食を懐かしむような叙述が出てくるんだが、それについてマラニョンはビーべスの出身地であるバレンシアは当時食生活が豊かな地方であって、そのためビーベスも通風が持病だったなんていかにも医者らしいことを言っている。しかしカンぐって考えるなり、たとえば豚肉科理のことなど必要以上にくわしく書いているのは」
「ユダヤ人にとって豚肉を食べることはタブーなんたろう?」
「だからさ、カンぐって考えるなら、まさにそれこそ彼の偽装工作の一環なのさ」
「それはどうかな。ともかく従来のスペイン史解釈が改宗者問題を臭いものには蓋というぐあいに故意に隠してきたきらいはあっても、今度はその反動でなんでもかんでもユダヤ人問題に結びつけるのはやっぱり行き過ぎじゃないのかな」
「うん、それは注意しなければならない。要するにユダヤ人問題は causa(原因)じゃなくてmotivación(動機)と考えるべきなんだろうね」

1983.9.5

西班牙書房『書誌』、第4号、1984年1月