17. 問題の核心を《美しく》ずらす構造 (1998年)



問題の核心を《美しく》ずらす構造




 Y君、この手紙が果たして君のところに届くかどうか、現段階ではまったく予測がつかない。しかも何から書き出せばいいのか、どういう書き方をすればいいのか、はっきりしないままに書き出してしまった。いや、もっと肝心なことを白状すれば、実は何を書こうとしているのか、それさえ曖昧なままに。でもともかく書き出すことにしよう。というのは、N氏の死から始まって、今年は春から身辺いろいろと不如意なことが続き、その上、異常なまでに不安定な天候に終始したこの夏、私の内部にはいろんなものがわだかまってしまったからだ。どこかでこれらに出口を与えなければ、自分がどうにかなってしまうのではないか、というところまで来ている。これは決して大げさな物言いではない。それで君宛ての手紙に仮託して、すこしそのもやもやしたものを整理したくなったというわけだ。

 不如意なことの中には、さきほども挙げたようにN氏の死がある。肺の末期ガンとの死闘からなんとか生還してくれることを祈っていたのに、桜の花の咲き乱れるころ、遂に力尽きて昇天してしまった。そしてそのN氏を父のように慕って最後まで励まし続けたS助教授が、それからしばらくして、正確な事情を説明しないまま、しかし結局はいじめの構造の中からはじき出された形で大学を去っていったことなどがあるが、君の突然の退学(修道女としては退会と言うべきか)のことも私の心の中にどこか落ち着き悪く沈殿している。それまで君が頑張ってきたことで、私自身どれだけ励まされてきたことか。何人かの同僚も同様の感懐を述べていた。ただ、君がこれから先もずっと修道女でいるかどうかということになると、心のどこかにそれを不安視するものがあったことも事実だ。これはたぶん後から触れることだが、君の考え方の中には、団体生活とりわけ日本的な横一線の団体生活に鋭く対立するものが濃厚に看取されたからだ。今回のことで、修道女の中には、「やっぱりあの人は修道生活に向かなかった」としたり顔に言っている人がいるらしい。しかし私の言う意味はこれとは少し違う。つまり君が修道生活に向いている向いていないではなく、君の考え方の中には、生温い修道生活とは本質的に異質なもの、生なかな修道生活を内部から鋭く批判するものが感じ取れたからだ。つまり君がこのままの修道生活を続けるなら、結局は弾き出されてしまうか、あるいはそれとは逆に、聖性への厳しい隘路をぎりぎり突き進まざるをえないような何かがほの見えたということである。それをなんと名付けたらいいのか分からないが、あえて言うなら、君自身が制御できないほどの容量の「怒り」とでも言おうか。しかしこれは、もしかすると君の『翼の考察』が私の中に造り出した君のイメージに由来する見解かも知れない。

 新学期が始まってからかなりのあいだ、キャンパスの中に君の姿が見えないことを別に不審に思わなかったが、そのうちだんだんと、もしかしてという気になってきた。理由は分からない、しかしなんとなく君が修道院を出たのではないか、という予感めいたものはあった。三月下旬(N氏の病状が急激に悪化したころと重なる)、君の『翼の考察』が載るはずの『人間学紀要4』の出版準備の際、君はワープロ入力その他で手伝うことはないか、と言ってくれた。そして実際に原稿入力を一部手伝ってくれた。だからN氏の葬儀が終わって新学期が始まり、キャンパスに新入生らしい学生の姿が行き来するころ、まっさきに「紀要」を研究室に取りに来るのではと心待ちにしていた。しかし大学の授業が再開してしばらくたっても、君は訪ねてこなかったし、キャンパスの中に君の姿を見ることもなかった。
 君が修道院を出たらしいこと(つまりこの場合、君が修道女であることをやめ、同時に大学生であることをもやめたことを意味するが)を知ったのは(というより確かめたのは)、シスターTからだった。廊下での立ち話だったので、詳しい事情を聞き質す余裕はなかった。ただ分かったことは、修道院では数少ない君の理解者(と私には思われた)シスターTにも何の相談も報告もなく(常識的に考えるなら上長からはもちろんある種の了解を得てだろう)とつぜん修道院を出たこと、行き先はだれも知らないが、以前から親しくしていたある家族(夫婦?)には事前に相談があったらしく、その線から消息がつかめるかも知れない、というようなことだった。シスターも君がいまどこにいるか、本当に何も知らないらしい。故郷O県の実家にもどったのだろうか。シスターTはそれは否定した。それにしても、シスターの説明をそのまま信じるとしたら、ずいぶん思い切ったことをしたね、君らしくなく(いや君らしくと言い換えるべきか)。ちなみに僕の場合は、今も記念(?)として取っているが、管区長[インドの大雪山に住むという伝説上の鳥・寒苦鳥にかこつけて、当時何か冗談めいたことを考えたことがあったが、それがどんな内容のものであったかは、なにせ三十年以上も前のこと、すっかり忘れてしまった]の退会承認書[ラテン語で書かれている]をもらってから修道院を出た記憶がある……いや、いま当時の日記に挟み込んだその承認書の日付けを確かめたのだが、正式な書類はF県の実家に戻ってから届いたのだった。つまりまず口頭で退会の許可が出たのだろう。私の場合は、完全な還俗、つまりもう修道生活には戻るつもりはなかったのだが、君の場合はどうなんだろう。宗教者(曖昧な表現だが)であること、たとえば在俗修道会のようなものに所属して、宗教活動を続けるのだろうか。
 確かに君の言う「構造」の中で、空中分解せずに「それでもなお生き続ける歓喜」を持続させるのは至難の業である。おや、君の言葉をもう使い始めている。君の独特な措辞には伝染性があるようだ。君もおそらくは大嫌いだったシスターUが、君の文章には私の影響があると言っていたことを、ほんの最近K先生から又聞きしたが、二人の日本語を読み比べてみれば、そんなことはありえないのは一目瞭然である。Uの文章が、性格そのままに、精神病理学的分析を必要とするていのものであることを考えれば、彼女が君の文章を誤読しただけでなく、結局は理解できなかったことは明らかだ。
 ともあれ、君が皆の前から姿を消して以来、早いものでもう半年以上になる。その間、君から直接、あるいは間接的にでも連絡があることを期待していたが、依然杳として消息がつかめない。退会の事情、その他がどうであれ、君が現在、肉体的にも精神的にも元気で、新たな道に果敢に挑戦していれば、と心から願っている。今から考えるなら、四月初めのN氏の葬儀のときが君を見かけた最後だが、しかしその時はすでに修道院を出る決心を固めていたのだろうか。そうだとすると、君が火葬場でのおつとめの最後の最後まで立ち会い、N氏を懇ろに見送ったのは、もしかしてN氏だけでなく、君が心を許した少数の(?)友人たちへのお別れの意味もあったのでは、と今では考えられる。そして『翼の考察』は、私たちに向けてのメッセージ。
 君の退会を知ったS教授は、『翼の考察』が公表されたため、君が修道院にいずらくなって出てしまったのでは、と心配顔で言ってきたが、時間的に考えてもそれはありえない。もちろん君は、ある種の覚悟を決めて、掲載を了承したのだろうが(私としては、それが発表されてもきっちり読む人は少ないだろうし、ましてやそこに盛られた究極のメッセージを読解する人はさらに少数だろうと考えて、積極的に掲載の方針をきめたわけだが。しかし確かに、いつかは必ず、そこに仕掛けられた危険思想が君を窮地に追い込んだはずだ)。
 さて、ここにきて君に何を語りたかったのか、ようやくはっきりしてきた。そう、君の『翼の考察』について、というより、それが私の中に喚起した一連の感慨を、なんとか伝えたかったのだ。実を言うと、今回の「紀要」出版に際して密かに、そしてもっとも強く願っていたのは、執筆してくれた同僚や、レポート掲載を快諾してくれた他の学生諸君には悪いが、君の『翼の考察』をできるだけ多くの人に読んでもらうことだった。昨春、「人間学」学年末レポートとしてこれが提出されたとき、本当に驚いた。そして強烈な印象を受けた。このような「作品」がレポートとして提出されたこと自体驚異的で、私の教師生活でも初めての出来事だった。
 いったいこれをどう解釈すべきか大いに戸惑った。通常のレポートとは違うのはもちろんだが、創作としてもどういうジャンルに属するのか。小説なのか、詩なのか、それとも散文詩とみなすべきか。いやいや、どういうジャンルかはこの際問題ではないだろう。これが君にとってどういう意味を持つのか、言い換えればこの「作品」の中で君はどこに位置しているか、ということの方が重要だ。作者として、ある意味では全能者の位置に立つとしても、しかし作中人物のどれにいちばん君は近いのか、ということでもある。 
 まず作品の外観から見てみよう。全体で四百字詰め原稿用紙十二枚ほどの分量で、四つの章に分かれている。それぞれの章には次のような小見出しがついている。

  1. 数百の奇声の柱の撤去と誓い、イカロスの第二の翼と、それでもなお生き続ける歓喜について
  2. 学問と「生」の断絶の直視、血を吐いた翼と二度目の誓い、「個」を出た翼を笑えなかったイカロスについて
  3. 時間的「聖」と空間的「汚物」の構造に生きるということについて、今を生きる翼の考察
  4. 其々の翼とその真偽性について――愛と/まわり道と/総合の世界、そして――随分難しい問題だと嘆くイカロスと/三度目の誓いについて

 ここで作品の筋を取り出すことは無理であろうし、また無意味でもあろうが、敢えて書き出せば次のようになる。すなわち、三人の人物(あるいは三つのもの)、①イカロス、②イカロスの翼、そして③私が、荒涼たる、しかし熱風が吹きすさぶ風景の中を、時には太陽に眼を射られて盲目になり、時には奇声の柱を突き立て、そして「口いっぱいに頬張った石やら翼やらを吹き上げながら」苦しい行進を続けていく、とひとまずは言うことができよう。目的地はどこか、そして何を目指して。それらについての説明は一切ない。
 ところで先ほどの問題、すなわち作中人物のどれが君にもっとも近いか、ということになると、もちろん「私」ということになろうが、しかし読み進んでいくうち、実はこの三者が全て作者の分身、というか作者は三者が合体したもの、と思えてくる。イカロスはとうぜんあのギリシア神話の工匠ダイダロスとクレタ王ミノスの女奴隷ナウクラテの間に生まれたイカロスのことだろう。面白いのは、このイカロスの「翼」が、ある種の人格を持った存在として描かれていることだ。文中翼は次のように定義されている。「象徴でもイデオロギーでも聖なる箱に押し込められた飾りでもなく、私の人格と語る生きたことば」。 この不条理(という言葉は用意されていないが、これこそまさに不条理そのものではないか)の世界、あるいは作者の表現に沿うなら「時間的には聖で空間的には汚物の構造」から逃げ出さないという誓いが三度繰り返されている。「私は、ちぎれた昆虫の羽を運ぶ蟻のような群れをじっと見据えた。まだ何も感知できす青空をただ睨んだ頃と同じように、私はこういう風に生きるんだ、と思った。それは嫌ではなかった。嫌ではなかったがイカロスが言う《難しい問題》を抱え込む生き方だった……」
 そして[後記]は次のように結ばれている。
「……《切り口》に指紋をつけること、つけた指紋に最後までいさぎよく関わっていくこと、内面のそういうリズムが《それでもなお生き続ける歓喜》となるのだと今はまだ、信じています」

 文章全体に帯電しているとてつもないエネルギー、「奇声の柱を何百本も突き立て、つたいながら進んだ」などというダリ風の奇抜な表現に圧倒される。そして「構造」「切り口」など独特な言い回しだけでなく、たとえば「聖なる恐れを本当の意味で理解できない、シニフィアンだけの構造」とか「構造は空間の汚物の秩序ある重なり」など、強烈だが難解な(時には未消化な)表現がいたるところに鏤められていて、私には理解が届かないところが残っている。だから正直言って私には『翼の考察』の芸術的価値についてとやかく言う資格は持ち合わせていない。しかし、本当に言いたいことが最後になってしまったが、実は君の文章の中で私がもっとも感心したのは、君の正確無比な次のような表現である。

 「しかしあらゆる《構造》――醜い常識の構造、個の責任を埋没させる気持ち悪さを正当化した構造、立場を守るためならウソもつく人も騙す何でもありの偽殉教者的精神の構造、問題の核心を《美しく》ずらす構造――を知ってしまった余裕と孤独の精神が闇に生きる手立てを教えてくれる」

 ここ数年、私自身がぶつかっている問題の核心をこれ以上正確に表現することは不可能である。とりわけ「問題の核心を《美しく》ずらす構造」は見事である。つまり聖職者や宗教関係者に時おり見かけるあの臆面の無さ(魂のことを大事にしていると言いながら、他人を傷つけてもけっして謝らない不思議さ)、無責任、鈍感、唖然とするような世俗性(それでいて口では聖なる言葉を乱発する)を適切かつ正確に表現している。私なら、たとえば宗教の論理と世俗の論理を上手に、しかも無意識裡に使い分ける・すり替える、とか、二重基準・原理の構造、などと表現するだろうが、「美しくずらす」にはかなわない。

 家庭の事情で小旅行もままならず、陋屋での蟄居を余儀なくされたこの夏(おまけに何と暗く薄ら寒い夏だったことか!)、しきりに考えていたのは、政治の世界にしろ教育界にしろ、あるいは宗教界にしろ、いまあらゆる「構造」は最低の脈拍、最低のボルテージを記録し続けている、ということだった。体裁は繕うが、だれも責任はとらない。どこかかで上手に免責されてしまう不思議な構造。

 話はとつぜん変わるが、十月十八日付けの「カトリック新聞」に、アウシュビッツで殉教したカルメル会修道女エディト・シュタイン列聖のニュースが載っていた。ユダヤ系の家庭に生まれ、若くしてフッサールの弟子として将来を嘱望された彼女、アビラの聖テレサの『自伝』を読んでカトリックに改宗し、さらにはカルメル会に入会し、最後はナチの毒牙にかかって死んだ彼女は、私の中では、シモーヌ・ヴェーユと驚くほどの精神的同質性(もちろん気質的・人種的同質性も)を示している。ヴェーユは改宗しなくても、現代のどのキリスト教思想家よりも(そして聖人よりも)キリスト教の真髄に到達した人であるが、それと同じ意味で、エディト・シュタインは列聖されなくても、今世紀最高の聖性を極めた人だと思っている。オプス・デイの創立者のような者が政治力・資金力にもの言わせて列聖運動の渦中にあることを考えれば、むしろ今回の列聖は、ほんとうに余計なことと思わざるを得ない。検事・弁護士を仕立てての一種の裁判形式で審理が進められる列聖手続きは、「もういい加減見直したら」と言いたくなる。(閑話休題)

 本題に戻ろう、といっても、戻るべき本題があったわけではない。結局は『翼の考察』論でもなく、かと言って組織論・構造論にも入らない、なんとも中途半端な内容に終始したが、今日はこの辺で筆を置くことにする。最初にも書いたように、この手紙、君のところに届くかどうか、まったく分からない。いつかどこかで君の眼に触れることを願ってここに書き留めておくだけだ。
 手を尽くせば君の消息を調べることができるだろうが、今のところそのつもりはない。君は君の考えで、君自身納得いく道を歩み始めていることを願うだけだ。私に手紙を書きたくなったら、いつでも書いてきてほしい。

 君は今日もいつものように(頭をまっすぐ上げ実に姿勢良く歩く君の姿が目に浮かぶ)何かに敢然と立ち向かっているのだろうか。君のそのような姿勢・態度を見て、ある人たちは、「お高く止まっている」と評したそうだ。先ほど何の脈略もなくエディト・シュタイン列聖のニュースに触れたと思ったが、まったく脈略がなかったわけでもなさそうだ。つまりもしも君が修道女であり続けるとしたら、エディト・シュタイン(そしてシモーヌ・ヴェイユ)のような修道女になってもらいたい、などと心のどこかで思っていたからであろう。買い被らないでほしい、という君の抗議の声が聞こえてくるようだ。そう、いらぬお節介・思い込みかも知れない。しかし共通点はある。それは君が全てをラディカルに見、捉え、考えるタイプの人間だということだ。知っての通り、ラディカルという言葉を語源にまで遡れば、「過激」という意味ではなく、ものごとをその根っこから捉える姿勢を意味する。どうぞ君のそのラディカルな姿勢を今後とも貫いてほしい。と同時に、たぶん君は私の娘と同じくらいの年齢だと思う、だから素朴な親心から言うのだが、世俗の中で生きることの喜びも味わってほしい。下手な(?)修道者として真の自己発見をする(真の人間性に到達する)確率は、世俗の汚濁の中で、しかもラディカルな苦闘を通して、そして現実の生身の人間(たち)を愛することによって到達する確率よりもかなり低いと考えている(もちろんその気になった人の場合だが)。

 本当に今日はこの辺で失礼する。元気に頑張ってください。
  この手紙がいつか君の眼にふれることを願いつつ。


『青銅時代』、第四十記念号、一九九八年冬