ある偏倚

昨日の夕方、バッパさんの見舞いに千葉県から姉夫婦が車で来た。姉とは一昨年の夏、義父の葬式の折に会ったが、義兄とは十年ぶりである。最近覚えたばかりのパエーリャをご馳走しようとしたが、お米の扱いに失敗。焦げ臭いパエーリャと相成った。それはともかく、この義兄は実は私の高校生時代の英語の先生である。もともと口数の少ない人で、今まで数えるくらいしか話を交わしたことがない。昨夜は久しぶりの再会、それに美味しい酒が後押しして、大いに話が弾んだ。身内ゆえに私のことをいろいろ心配していたらしい。ところが私の節目節目の行動を、思っても見ない角度から見ていたことを知って仰天した。姉とも私のことはあまり話題にしたことがないらしく(当たり前でしょう)、姉自身もびっくりするような推測をしていたことが判明。
 しかしよくよく考えてみれば、彼の見方はごくごく自然なものだということが分かる。つまり人間行動の確率からすれば、彼の解釈の方が当然だということである。たとえば大学四年のときに突然修道会入りを表明したり、五年後にこれまた唐突に還俗したり、東京の私大の教師になってまもなく、国立大教師への道が開かれたが*、それを土壇場で反故にし、ついで急転直下、地方の小さな私大に移り、最後は東京西郊のさらに小さな女子短大に転進。とどのつまりは、定年前に職を辞して田舎に帰ってきたのだから。義兄から見れば、野望が次々と崩れ、行く先々で問題を起こして自暴自棄に陥ったのでは、と考えたらしい。無理もない。
 ただ自分としてはその都度、最良の決断をしてきたとの自負があり、その決断を後悔したことは一度もない。というより、後悔するような決定方法をとらなかったといった方が正確であろう。つまりプラスとマイナスを天秤にかけての決断ではなかったということである。もちろん逡巡がなかったわけではない。しかし大抵は二つあるいはいくつかの選択肢を前にほとんど思考停止・判断放棄の状態が続き、そのうちふとした瞬間に、ちょうど秤の針が一方に傾ぐ具合に、唐突に決断の瞬間が訪れる、ということを繰返してきた。だから後悔のしようがない。なぜならその決定に己の意思はほとんど関与していなかったからである。
 しかしそうした決断の根底に、大よりも小を、晴れがましさより惨めったらしさを好む奇妙なバイアスが、島尾敏雄風に言うと偏倚があるのかも知れない。 


(8/10)


*(息子註)筑波大のことである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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