ウメさんの話

こんな晩年を迎えるなんて予想もしていませんでしたよ。人生ってほんとに何が起こるか分かったもんじゃありませんね。何年前のことかそれすら今では記憶が薄れてしまいましたが、あるとき隣りのベッドに寝ていた爺さんが何を寝ぼけたのか、立てかけてあったパイプの折りたたみ椅子を足で思い切り蹴っ飛ばしたのです。それが下に寝ていた私を直撃。たぶんそれが直接の引き金となって脳梗塞となり、体の右半分が麻痺してしまいました。病院でリハビリに努めた結果、手摺につかまってならなんとか歩いたり、便所での用便もできるようになりましたが、舌がもつれてうまく話せません。それがなんとも悔しいです。
 自分がこんな体になったことで一時は爺さんを恨んだこともありましたが、その爺さんも一昨年の夏、入院していた病院で亡くなってしまいました。爺さんは外面はいいのですが、若いときはいろいろ泣かされました。でも不思議なもんで、死んでしまえば嫌なことは忘れてしまい、今ではひたすら懐かしいだけの存在となりました。自分でも性格的にはきつい人間と思ってましたが、ボケてきたのでしょうか。ほれ、今では爺さんの写真を小さな額に入れて毎日眺めていますよ。
 世話になっていた娘夫婦が、東京の生活を切上げて田舎に帰る、ついては私にいい老人施設を見つけたからそこに入ってもらいます、ととつぜん切り出したのは引っ越しのわずか二月前です。今さら反対のしようもないじゃありませんか。確かにここのケアの人たちは皆親切ですし、一棟に九人の老人しか入らず、しかも清潔でゆったりした個室というのは贅沢で、文句など言ったらそれこそ罰があたります。
 でもここの施設への入所資格に、少々痴呆があることというのは、娘夫婦は隠していますが、ほんとは私ちゃんと知っていますよ。先日もここの玄関先で娘の夫が撮ってくれた写真を見て、娘や連れてきた犬(これがまた可愛いワンチャンでね、私と同じく梗塞で後足が麻痺しているからなおさら不憫なんですが)はそれと分かるのに、車椅子のばあさんを見て、これは私ではない、と言ったら、あゝやっぱり、といった顔で娘夫婦は私の顔を見てました。長い間鏡を見てないんですから無理もないでしょ…もちろん、すぐ自分だと分かりましたよ。でもねボケで通しましょ、その方が皆にとって都合がいいんですから……

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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