ララ神父のこと

これだけ時間が経ってしまうと、はたしてその人と実際に会ったことがあるのかどうかさえ怪しくなって来る。そんな一人がララ神父だ。どういう経路で面識を得たのか、そこのところがどうにも思い出せない。兄が神学の勉強のためカナダに渡航するとき、たしか横浜港に見送りに来た数人のスペイン人神父たちの中にいたのは覚えている。しかしそれが最初の出会いではないと思う。初対面がいつだったかは思い出せないが、彼がいつも長すぎる腕や足(ついでに顔も)を持て余すふうにしながら、しょっちゅう冗談を言っていたことは覚えている。仏伊合作映画『ドン・カミロ』シリーズに出てくるあの顔の長い俳優フェルナンデルを少し美男にしたような風貌だった。
 それで思い出したが、彼が日本映画に出る話が彼の預かり知らぬところで進められたときもあった。つまり遠藤周作氏の「おバカさん」の主役探しがあったころ、たしか遠藤周作氏自身からだれか適当な外人神父はいないだろうか、と打診されたことがあった (はずだ)。遠藤氏とは彼の『沈黙』発表後、思いがけないところで接触した。つまりそれまで彼はカトリック界(?)から異端視されていたのだが、『沈黙』が大評判になったころから、それまでとは打って変わって厚遇(?)され始めた。事実、彼との接触もその流れの中で起こったのである。かくしてJ会の神学校で彼の講演会が企画され、その交渉・接待役をまかされたことが彼との関係の始まりであった(いろんな経緯から以後深まることのなかった関係)。
 もちろんララ神父がガストン役に選ばれることはなかった。記憶違いでなければ、彼には結局なんの打診もないまま映画化の話そのものも流れてしまったのではなかったか。これまた記憶違いでなければ、寅さん映画にも出たあの顔の長い外国人俳優が一時期候補に上ったと思うが、ララさんの方がはるかに適役だった。たぶん遠藤氏は、おバカさんを通じてキリストのパロディを描きたかったはずだが、ララさんはまさにそのおバカさんそのものだった。彼の冗談も、彼独特の含羞(私見では本物の宗教者・聖者に必ず備わる資質)から出ていた。彼はその後たしか岩国の勤労青年の家「あけぼの」で働いていたと思うが、何の病気あるいは事故かは知らないが、そこであまりにも早すぎる死を迎えることになる。機会があれば彼のことをもっと知りたいと思う。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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