はるか昔のあやふやな記憶が正確な証言を得てその輪郭を鮮明にするのは、嬉しいことである。最近、立て続けに二つの記憶がそうした蘇生術を受けた。先日も書いたと思うが、終戦後、満州から引揚げて北海道に向かう途中、相馬の叔父の家に寄ったときのこと、着いた翌朝、町を一望できる小高い丘に登り、斜面でお握りを頬張った記憶があったが、今までその場所を特定できなかった。ところが先日の叔母の告別式後、精進落としの席でその叔母の妹(結婚せずに従弟たちを育てた)の話で、そこが村の公民館裏の丘であったことが判明したのである。そのうちかならず行ってみようと思っている。
もう一つは、昨夜、友人夫妻との月一回の恒例の晩餐会(と思い切り気取って言ったが)で、たまたま話がボーイスカウト時代のキャンプに及び、この辺では一番高い国見山近くにちょっと変なカタカナ名の山があったことを思い出した。バッカメキという場所である。たぶん五万分の一の地図には地名として出ているはずだ。しかしなんとも奇妙な地名である。友人にもその由来が分からなかった。期せずして二人が考えたのはアイヌ語であった。
東北地方のどこらあたりがアイヌの南限なのだろう。和人たちによって北海道や樺太に追われる前に、果たしてここらあたりにもその痕跡を残したのだろうか。アイヌに関する学術的な研究がどこまで進んでいるのか、私にはまったく未知の領域だが、このバッカメキという言葉はいわゆる大和言葉でないことは確かだろう。いや、怪しいことは言わないでおこう。ただ少年時代のあるとき、不思議な音の響きで記憶の中に留まったバッカメキという言葉については、そのうちゆっくり調べてみたい。
このモノダイアローグでもたびたび登場してもらっている武田泰淳は、昭和二十二年十月から翌年の五月まで北大の助教授をつとめたが、その間、知里真志保らアイヌ学者に精力的に取材し、十年後、長編小説『森と湖のまつり』を書き上げた。実はまだこの長編小説は読み始めたばかり。いかなる執筆意図があったのか、今までまったく関心がなかったが、これもぜひ調べてみたい。
かくのごとく、知りたいこと調べたいことが次々と出てきて、うかうか寝てもいられない。というのはもちろん冗談だが、毎日がいよいよ充実してきたことは確かで、ありがたいことである。 (10/5)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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