転倒事故

我が家はボロ屋だけれど、階段には生意気にも緑色のフェルトが敷きつめられている。いつのまにか猫たちの毛がこびりついているので、昨日の夕方久しぶりに掃除機をかけた。夕食後、階段を降りながら家内に振り返りざま「きれいになったよ」と声をかけたとたん、ツルリと足元がすべって、仰向けのまま転倒し思い切り背中と両肘を打ちつけた。一瞬息が止まった。しまった、どこか骨折して、あーあ病院行きか、と思ったが、幸いそこまではいかなかった。これでも昔柔道をしていたことがあり、受身の動作が……いや、受身をする前に叩きつけられていた。つまり階段だから、背中が受身に入る前にもう板の角に叩きつけられていたということである。転倒して息が止まったのは、小学六年生のとき、高い鉄棒(たしかこの地方では金棒と言う)から手を滑らせて地面に背中から落ちたとき以来である。
 息をすると少し背中あたりに痛みが走り、曲げた角度によって肘が時おり痛む程度で終わったが、人は家の中の怪我でも死ぬことがある、と考えてゾッとした。あの勢いだったら、後頭部を思い切り角度のある板にぶつければ、どうにかなってしまう。桑原桑原!
 三年ほど前も、夜、家の近くでバイクの転倒事故を起こし、あやうく「たけし症候群」になるところだった。だからテレビの中のたけしが、ときどき指で頬を持ち上げる仕草をすると、あのときのことを思い出す。あのときはYシャツの胸ポケットが引きちぎれ、左肩を強打し、腕時計のベルトが吹っ飛んだ。半年ばかり腕が上がらなかったが、結局病院には行かなかった。僥倖である。
 いや、自分が不死身であることを自慢しているのではない。人間がいかに傷つきやすい(vulnerable)生き物であるかを確認しているだけである。アメリカ映画はその点だけでも嘘っぽい。「ダイ・ハード」の主人公は絶対に死なない。任天堂のゲームに出てくるキャラクターたちもまるで化け物である。根が痛がりで臆病な私にはとても好きになれないが、デージーカッターのような大量殺戮兵器を振り回すよりかはいいか、と思う。ところがこのごろ世界の兵器を特集する雑誌が大々的に購読者を募集している。この世はどうなってるんだ、狂ってるぞーっ。
 まっそうは言っても、人間という種はもともと病んだ動物。「…嫌い(フォビア)」と「…好き(マニア)」がほどよく並んでる。要はバランスの問題か。(10/9)

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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