春が来るのに

午後、Mちゃんのご主人のK君からメールが入っていた。昨日医者から遠いところの親戚には連絡するように、と言われたらしい。いつ死が訪れてもおかしくない、と言われて何日か経つ。島の生活をたたんで娘夫婦のもとから通院するようになって間もなく、とうとう暮れには入院を余儀なくされていたのだが…
 見舞いには行かないことにした。元気になったら会いに行くか、それともご夫婦で相馬に遊びに来てもらうかのどちらかなので、今は見舞いに行かないから、と伝えてもらった。先日の娘の話だと、Mちゃんは病床の父親に毎日一編ずつ「モノダイアローグ」を読んであげている、という話だった。少しは気が紛れるなら、と先日も続きのコピーを送ったところだった。今はこんなことしかできない。(頑張ってくれーっ)
 今日の落日も、遠い国見山あたりが、昔あった「光」という煙草の箱の図柄のように、やたら金粉を空中にばらまいていた。そのうち本当に烏が山に帰っていく光景も見られるはずである。

  烏、なぜ啼くの
  烏は山に
  かわいい七つの
  子があるからよ

 人にはなぜ病があり死があるのか。いずれ誰のところにも訪れるものだが、なぜ思いもかけない時に、思いもしない方角から訪れるのか。先日の牛島氏のように仕事に油が乗ってきたときに、無理に、引き剥がすふうに、死が訪れると思えば、家のバッパさんのように、九十を過ぎても物凄いエネルギーを巻き上げながら生きている人もいる。
 先日、残っていた左の瞼を少し吊り上げる手術をして一泊入院から帰って来たバッパさん。さすがに初日は元気がなかったが、今日あたりはまたいつものクソ元気が戻っている。夕方、下の部屋に姿が見えない。二階寝室を覗いたが、そこにもいない。今日は日曜、まさか三時からのミサに行ったのだろうか。しばらくすると、干ししいたけや各種佃煮をどっさり買い込んで帰って来た。
「毎日、買物の前に何か好きなものねーか、って訊いてるべ。どうしてそんなもん自分で買ってくるの?」
「これが生きてる証拠だべー」
「………」

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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