いつか機会があれば行ってみたい、と思う外国あるいは外国の都市はいくつかあるが、そのうちの一つがベルギーのブリュージュである。
十六世紀スペインの人文主義思想に興味を持ち出してからかなりの年月が経つ。なかでもユダヤ系知識人のことが気になっている。ビトリアやラス・カサス、そして聖テレサたちである。しかしいつかはその実像に迫りたいと特に思っているのが、ルイス・ビーベス(1492-1540)である。彼に関する論考もいくつか書いたが、それだけでは足りなく、史実と想像を綯いまぜにした小説もどき『ビーベスの妹』というものも書いた。そのビーベスが後半生を過した町がブリュージュなのだ。
だが、現実にブリュージュの町を訪ねることはあるまい。いやブリュージュだけでなく、他の訪ねてみたい外国あるいは外国の町にも行くことはないと思う。断念の理由など特にない。飛行機が怖い、病人や老人や、世話しなければならない動物たちがいる……しかしそれらとて決定的な理由ではない。海外だけでなく国内にも行ってみたいところが無いわけではないが、それらをも、訪ねることはないであろう。
別にバッパさんに抵抗しているわけではない(と言い出したのは、やはり対抗意識があるのか)。つまりバッパさんは、「国内でまだ行かねーところは〇〇と◇◇だけだー」と言う(癪だからしっかり地名は聞き流した)。現天皇がまだ訪問していない県は鹿児島ともう一県(これはちょっと失念)だけらしいから、これは自慢してもいいことだ。しかし私たち夫婦には、老後(とは今かいな?)名所旧跡を訪ねたいなどという欲望はどうも希薄である。寅さんちのおっちゃん夫婦の言い草ではないが、「あーやっぱし家がいちばん」と、どこにも出かけないのにそう思っている。つまりは出不精であり億劫なのだ。
だからブリュージュには想像の翼を駆って訪ねようと思っている。それで今、ローデンバックの『死都ブリュージュ』を読んでいるのである。国書刊行会の「フランス世紀末文学叢書」の一冊だが、もしかすると窪田般彌訳の方が良かったのでは、と思っている。「大事」が「大じ」などと表記されているのが気になってしょうがないからだ。それだけでは心許ないので『旅名人Special』vol.2の特集「もう一つの《水の都》ブリュージュ」の素晴らしいグラビアを見ながら、ビーベスの時代とあまり変わらぬ古都を歩きまわっている。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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