とうとう怖れていたことが起こってしまった。夕方五時過ぎ、君の娘さんから電話が入った。少し前、とうとう君は力尽きて逝ってしまったという。膵臓ガンという厄病神につかまって半年も経たなかったのではないか。希望を捨てないで頑張る、春になったら隣町の鹿島に従弟がいるので相馬に行く、その時は必ず原町に寄るから、と元気な声で電話してきたのはついこの間のことだ。
一九八九年四月、八王子市のはずれにある大学セミナーハウスで君のお嬢さんに初めて会った。恒例の(といっても私は静岡から赴任後最初の参加だったが)オリエンテーション・キャンプで教員の紹介が終わり、会場の外で煙草を吸っていると、輝くような笑顔を見せて一人の新入生が近づいてきた。「先生、先ほど上智大学のスペイン語学科を出られたと聞きましたが、もしかして父のことご存知ありませんか、加藤博信というのですが」。
申し訳ないが、とっさには思い出せなかった。しかし博信というの字を頭の中でなぞった瞬間、一気に君の顔が脳裏に蘇った。郷里が同じ福島県(確か保原)であることから、初対面から互いに親近感を持った。しかし卒業後は一度も会うことがなかった。それがどういう運命のいたずらか、それから四半世紀後、君のお嬢さんに会うとは。君は卒業後、ある大手の旅行会社に就職したが、あることをきっかけに(確か健康を考えて)八丈島に移り住み、そこで塾を経営しているという。
あの輝くような笑顔の娘さん、聞けばお母さんは福江島の出とか。それでまったく納得。ちょっと暗いイメージのふくすまと陽光燦々の南島の出会い。終の棲家として八丈島を選んだのもそれで納得。同い年であることもあって、娘さんは以後私の娘とも親しい付き合い。
あっそうそう、娘さんご夫婦には、昨年三月の相馬移転の際に猫四匹を相馬まで送っていただいたよ。やさしいお婿さんでよかったね。息子さんもいい伴侶を見つけてこの間英国から戻ったとか。あとは何も心配ないよ。
ところで、僕は告別式にも葬式にも行かない。でも君のことは決して忘れない。そして君の愛する奥さんとお子さんたちとは終生仲良くする。ゆっくり休んでくれ。
心残りは君が元気なときに一度も八丈島を訪ねなかったこと。でもいつか機会見つけて君の愛した島を訪ねるよ。今はゆっくり休んでくれ。君は君の戦いを最後まで立派に戦ったのだから。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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