春の雪

今時の雪を春の雪などとは言わないかも知れないが、つい数日前までいたるところに春の気配を感じていたせいか、なにか肩透かしをくったような気がしている。朝方、郵便局に行く用意があって外に出たら、一面の銀世界。ただ幸いなことに陽が照っていて、道路の雪も溶け始めているようなのでバイクで出かけたのだが、用事を済ませて家に帰ってきてから、実に危ないことをした、と反省する。街中でブレーキなどかけようものなら一気に横滑りしたはずだからだ。
 家を出るとき、郵便屋さんのバイクが通りを颯爽と走っているのを見て、ついバイクを選んでしまったのだが、街中で改めて見てみたら、なんとタイヤにチェーンが巻かれているではないか。その時、初めてしまったと思ったが、もう後の祭り。降りてバイクを押そうにも溶け始めた雪にタイヤをとられて意外な重さ。急いで車の入ってこない脇道に入り、両足をいつでも地面に下ろせるような格好でゆっくり走って家に戻った。でも歳を考えて、もうこんなことは絶対にすまい。とは思うが、いつも後からの反省ばかり。
 ところでここ数日、昔々の日記の整理をしている。まだJ会の哲学生だった昭和四十一年の夏の日記だ。ずいぶん活動的な夏休みだったようで、前半は作家の埴谷雄高氏と島尾敏雄氏の二人子供たちと一緒に野馬追い見物を兼ねて相馬に帰省し、後半は島尾氏の娘さんと、彼のアメリカ人の友人M氏の二人の男の子を連れて初めて奄美を訪れ、名瀬の島尾氏宅に一月近く寄寓したのである。
 その日記を電字にしながら、一種不思議な感慨に捉われている。つまり日記の中で生き、考え、記録している「私」は、確かに私ではあるが、また私ではない「私」なのだ。そこでいかに恥ずかしい所業に及んでいたとしても、今さら取り返しがつかない。しかし、もう絶対に手の届かないところにいるのだろうか。たとえば、細い管の先の熱いガラスの液に自在な形を与えていく細工師のように、時の彼方にある己の過去を、「現時点」という口金に息を吹き込むその微妙な力の入れ具合、角度によって、「過去」が新たな意味を帯びることはないのか。それは歴史を否定しての改竄とはまるで逆の力学が働くはずだ。つまり過去をすべて認め引き受けた上で、改めて現在の自分の全責任のもとに新たな意味付けを行なうことだからだ。歴史は直線状に進むのではなく、自己を中心軸として螺旋状に積み重なる。
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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