朝起きたとたん、妻からスペースシャトル墜落のニュースを聞いた。だが亡くなった乗組員の冥福は祈るが、事故そのものにはいかなる同情の念も湧いてこない。以前、なぜ山に登るのか、という質問に、そこに山があるから、という答が大嫌いだという話をした。なぜ宇宙開発をするのかという質問に対しても、たぶんそこに宇宙があるから、という答が返ってくるであろうが、まったく同じ不快感を覚える。全く同じ? いやいや比較にならないくらいの不快感である。そうした答がなぜ説明を必要としないほど自明のことなのか。しかも、いま地球上には目を覆いたくなるような貧困と差別と戦禍があるというのに、およそ天文学的な額の金を使っての、国家の威信をかけた宇宙開発競争となれば、不快感を通り越して、どこにもやり場のない怒りがこみ上げてくる。
《コロンビア》、もちろんコロンブスから取られた名前である。十五世紀末、キリスト教ヨーロッパは、異教と非文明の新大陸に、正しい宗教と輝かしい文明を持ち込もうとした。それに抵抗したインディオたちには、神をも恐れぬ不届き者として、天誅が下された。確かにスペイン人征服者たちは少し、いやかなり残酷に過ぎたかも知れぬ。しかしこれも人類の発展のためには致し方ないと見なされた。しかし征服そのものの正否を問う視点は、ごくごく少数の者以外、だれも持とうとしなかった。この人間理性への絶対的な信頼、傲慢不遜な信仰はどこから生まれてくるのか。
午前中はそんなことを考えて気が晴れなかったが、昼食のあと何気なく見ていた古い雑誌(『サライ』2002年2月21日号)のページにふと目が吸い寄せられた。北御門二郎氏についての記事である。トルストイの翻訳家としても有名な方だが、その彼が「人殺しになるよりも殺された方がいい」と徴兵拒否をし、しかも無事戦中を生き抜いた人であることを初めて知って、それまでの暗い気持ちが一気に吹っ飛んだ。偉い先輩がいたものだ。89歳の彼の写真もあった。可愛いとさえ言いたくなるような素晴らしい笑顔である。
彼に関する情報を求めてヤフーを検索。すると、なんとなんと彼のホームページが見つかった!実際は長男すすぐ氏が管理しているらしいが、今も熊本の山里にご健在。著書に『ある徴兵拒否者の歩み』があることを知り注文する。今日もインターネットのおかげで、新たな地平が広がった。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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