もううんざり

時事ネタは黄ばむのも早いから、あまり話題にしたくはないのだが、今はそうも言っておられない。今朝の新聞で、アメリカ外交問題評議会中東研究部長の肩書きを持つレイチェル・ブロンソンのコメントをつい読んでしまった。イラク攻撃容認派らしいが、とたんに気分が悪くなった。彼女もそうだが、小泉首相を初め日本の政治家やコメンテーターの言い草に、市民たちによる反戦のうねりはこれまで自分たちが適切な説明をしてこなかったせいである、というのがある。一見謙虚なようでいて実はとんでもなく思い上がった考え方である。これは裏を返せば、民衆の動向などというものは、多くの情報や裏事情を知っている自分たち政治家のさじ加減でどうとでもなる、というたちの悪い傲慢さが潜んでいる。
 違うんだな、君たちのいささか高揚した気分とわれわれのうんざりした気分とは。この「うんざりした」という言葉は、実はスペイン語の escatológico という言葉のうまい訳語はないかなと考えていて思いついた言葉なのだが、要するに「とどの詰まり」「ぎりぎりのところ」ほどの意味で、学問的(?)に気取って言えば「終末論的な」という意味である。
 政治の世界は小賢しい事情通が幅を利かせるところである。しかしその事情なるもの、下らぬ駆け引きの具ではあっても、大所高所から見て肝要なるものとはほど遠い。またそれを報じるマスコミ関係者と政治家のじゃれ合いは不快の一語に尽きる。プロ野球の番記者たちがグラウンドを去る監督のコメントを取りたくて金魚の糞みたいにまとわりつくのとさして変わらない。つまりまずい試合だったか良い試合だったかは、解説やコメントなどなくても誰の目にも明らかだからである。
 アメリカがこう動けば、他国はどう出る、その場合わが国はどう動けば「国益」を守れるか、などという視点から市民たちが動いているのではない。それこそ切羽詰って、もううんざりという気持ちでデモに参加しているのだ。
 いま世界を覆いつつある反戦のうねりは、はっきり言って従来のそれとは質を異にしていると思う。つまり理屈やイデオロギーじゃなくて、気分なのだ。しかし気分だといって侮ってもらっては困る。「生きる」に当たって理屈なんてよりはるかに大事なものであり、本当は歴史を大きく動かしてきたものなのである。要するに、もう人殺しには「うんざりしている」のだ。
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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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