ここ数日、チャンネルをひねればイラク報道、とうぜん今はすべての情報が管制下にあり、当局が知られたくない情報は篩にかけられているであろうから、見る気も起きない。解説者たちはテレビ局ご用達のホテルから連日のご出演。どもどもご苦労さん。イラク自由だか自由イラク作戦だか、問題の本質を見事すり替えた命名に早くも迷わされる人たちも出てきた……やめようこの話は。
そんなわけで(下手な芸人の意味のない繋ぎの言葉である)急にアノ小説が読みたくなった。アノなどと意味あり気に言ったのは、作者名も、たぶん題名もうろ覚えだからである。いや作者名ははっきりしている。鈴木三重吉である。題名も『千鳥』だと思う。出だしは今まで私が読んだ小説の中で第一番にくる出だしである(なのに正確に覚えていないのはおかしいが)。「千鳥の話はお富士さんから始まる」……だったと思う。今日の午後、階下の未整理の本棚を再三再四探しまわったのだが、見当たらない。たぶん最初に読んだのは中学一、二年生のころ。角川文庫の三重吉短編集の冒頭の作品だった(と思う)。小説の中の季節は春だったかな。だからがぜん春めいてきた風景の中で急に読みたくなったのであろう。お富士さんは、もしかすると小説の中の女性を恋した最初の人ではなかったか。胸のあたりが妙に苦しくなった感触がかすかに残っている。
探し回ったのにはもう一つわけがある。ここ数日のささくれ立った時間をなんとかやり過ごすには、装丁の作業にしくはないと思い、今回は文庫本をターゲットにしていたからである。先日、迷いに迷って、鼠色の豚革のジャケットを解体した。豚だけあって、ビミョーな臭いが気になっていたし、何よりも重くて、そのわりには暖かくなかったからだ。これで何冊の本の背革ができるだろう。いい色合いの藍染めの反物もまだかなり残っているぞ。国際法による戦争の定義がどうなっているかは知らないが、どう考えても今回のものは戦争とは言えない。一歩も外に出ない相手を、まるで猫が鼠をいたぶる……やめた、先ほどの話に戻る。
まずギュンター・グラスの『ブリキの太鼓』上中下、フレイザーの『金枝篇』5冊、『唐詩選』上中下をそれぞれ合本にして、それに鼠色の背革と布を貼り、最後にワープロ仕上げの金色題名を打ち込んだ黒いラベルを貼ると、世界に一つしかない豪華本に生まれ変わった。その流れで三重吉を探したのだが……
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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