自分史から世界史へ

昨夜寝しなにひねったチャンネルで、まったく偶然に、このところ記憶の中をまさぐりつつ遡行の旅を続けていた旧満州にかかわる番組と出会った。『大地に生きた愛と運命――中国残留婦人三世の家族史』というテレビ宮崎制作のドキュメンタリーである。現在は宮崎在住の中国残留婦人(とひとまず分類しなければならないのか)原田ミヤさん(80歳)を取材した番組だが、本当の主役は彼女の孫娘原田静さん(23歳、宮崎公立大学今春卒業)である。
 静さんは十年ほど前、夫(つまり静さんの祖父)に先立たれた祖母ミヤさんと一緒に家族全員で日本に永住帰国した娘さんである。つまり血からいえば中国人の血を四分の一引くクォーター。通っていた大学の卒論に家族史を書こうと思い立ったことから、それまで敢えて知ろうとしなかった「愛と運命」の家族の歴史が浮かび上がってくる。祖母ミヤは、満蒙開拓団員の花嫁となるべく、厳しい自然と、それにまさる酷薄な政治環境の中にひたすらお国のためを思って飛び込んでいったが、敗戦間近の緊急総動員で出征した夫と死別、そのとき彼女は中国人と結婚する道を選択する。だから田中角栄の時代、日中国交が実現したときも、命を助けてくれた夫、そして彼と共に築き上げた家族と共に中国の土になる決意は変わらず帰国しなかった。しかしその夫が死んだあと、急転直下、息子の一家とともに永住帰国することとなる。
 昨年、祖母と孫娘は十年ぶりに中国を訪れる。静さんの卒論執筆のため、満蒙開拓団の跡地などを再訪するためである。今でも家族内では中国語を話す静さんに通訳は不要で、祖母と一緒に、一家の原点ともなった土地や、開拓団の歴史に詳しい土地の人たちと出会っていく。ミヤさんが初めて夫と暮らした家は残念ながら取り壊されていたが、似たような家屋はまだ残っていた。真冬は零下30度にもなる極寒にも耐えられるようにすべてレンガ造りだが、玄関へと続く四、五段の石の階段を見たとき、私の幼年時代も同時に蘇ってきた。
 静さんのような境遇の人は全国にまだ数多くいると思うが、ミヤさんのような満蒙開拓の実体験者は年々その数を減じている。だから若い世代が、それら実体験者から生きた歴史を聞き書きする時間は実は急速に減少しているのだ。ともあれ今回の番組を見て、未来へまた一つ希望の灯が点されていることを知り、胸が熱くなった。そして静さんの聡明な目の輝きが印象的であった。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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