或る兆し

教壇を離れて二年以上経ち、人前で話す機会もなく、またヘルペスで高熱を出したあと物忘れがひどくなっているので、ちょっと無理かな、と思いながら、会場まで妻を送ってから小高の「島尾敏雄を読む会」の方に向かった。今日は欠席者が多かったが、めげないで「ちっぽけなアヴァンチュール」の読みを続ける。というより私の島尾論の中心テーマの「生の構造」という聞きなれない言葉の意味をなんとか解きほぐして伝えようとして、どんどん深みにはまってるな、と思いながら話を続けた。幸い終了前に、聴講生から質問が出たり、感想が述べられたりして、なんとか今日も無事終了。哲学的なテーマをいかにわかりやすく伝えるか、これはなかなか難しいことだと改めて思った。これからこういう機会があると思うので、もう少し勉強しなければなるまい。
 帰ってみると妻はすでに帰宅していた。会場から家までかなりの距離なのに歩いて帰ってきたそうだ。なんとなく元気がないので、聞いてみると、会場設定その他の下働きはみんなと楽しくできたが、肝心の通訳のときになって、演台に立ったとたん頭の中が真っ白になって、言葉が飛んでしまったそうだ。インターナショナル・スクールに勤めて、それなりに通訳の経験もあるからと安心していたが、パニクってしまって言葉が出てこなかったようだ。たぶん司会者がうまく事態を収拾したのであろう。
 依頼主のY. Wさんにさっそく電話を入れて、お役に立てなかったことを謝った。29日のファイナル・パーティーもこんなことでは無理なので、とお断りした。ベテラン舞台俳優だって、一瞬頭の中が真っ白になることがあるんだから、気落ちしないで、明日からリハビリしよう、と慰めているが、やはり本人にしてみればよほどのショックだったようだ。自信が無い、というのを無理に送りこんだようなところがあり、可哀想なことをした、と反省している。この失敗に懲りていよいよ自信をなくしてしまわないよう、明日からのリハビリにも付き合うつもり。
 実はこんなこと日録に書いていいかい、と妻に言うと、いいというので書いておく。つまり隠さないで、元気にこの難局に立ち向かうということ。老いやぼけなんかに負けるものか、ということである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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