夕食を食べている最中、気分が悪いというのでもないのだが、なにか腹部膨満感のようなものを感じ、中断してベッドに横になった。その後、それまでぜんぜん痛くなかった歯までが痛くなり、先日もらっていた頓服を急いでのんだ。美子がしきりに心配して、肩をもんだり、叩いたりしてくれた。彼女、昔から肩もみが上手で、握力というよりつまむ力が私より強いのではないか。
 昨日の失敗による屈辱感がときおりぶり返すようで、何度もパパに悪いことをした、と言いに来る。しかし私にしてみれば、そんなことはまったく意に介さないことなので、ともかく昨日のことは早く忘れて、また昔のようにな自信を取り戻すよう説得。それかあらぬか、次第に元気を取り戻してきたと思ったら、今度は私の方だ。歯と左肩のこりが関係しているらしく、美子の話だと左肩のこりは精神的なものだ、と言う。今まで心配のかけどおしだったから、こんどはパパの心配をする、と言う。なるほど、私の心配をすることで、彼女は自信を取り戻せるかも知れない。なんと麗しい夫婦愛よ!
 ところで車を止めているすぐ側の木の枝に、毛虫が異常発生したらしく、食い荒らした葉っぱの滓が車の上やボンネットの上に落ち、おまけに毛虫そのものも落ち、汚いったらありゃしない。一昨日、バッパさんをセンターに送るとき、「なんだべ、町中で一番きたねーした」と言われ、乗せてもらうのに文句言うなと一喝したが、やっぱし町中で一番汚い。それで夕食前、ジャストに薬を買いに行き、帰ってきてさっそくスプレーで噴霧したのだが、そんなこんなで疲れが一挙に出たのかも。最近にないことなので、実は内心かなり動揺したのだが、このぶんでは別に心配はなさそうだ。それにしても健康であることの有難さをつくづく感じさせられた一日だった。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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