呑空庵

朝食後、今日もセンターに行くのか、と声をかけると、ベッドの上にくたっと寝ていたバッパさん、今日は行かねー、病院に行ってくっから、と言う。でもI病院は駄目だからW病院に行くー、今朝も夜ノ森公園さ行ってきたー、とついでのように言う。それ、あんたのやってることは出鱈目なんだよ、なんで体操などに出かけるの?、それ健康病だよ。
 病院行きの車の中でバトルは続く。なんで世話になってる人の言うこと聞かねーんだ?あげくの果てにこう答える。そんなにいやなら、病院でも施設でも入れれば良かんべ。バッパさん、それを言っちゃーおしまいよ……車という密室の中にガンガン反響する罵倒の言葉……放送コードに触れるので実況放送はここまで。
 いやなことは忘れっぺ(あれっ、これは茨城弁だっぺー?)。ところで知っている人は数人しかいないけれど、実は私は呑空(どんくう)という立派な俳号を持っている。以前、作家の眞鍋呉夫さんのご指導のもとに連句をしたときに戯れに作った名前である。ドン・クー、つまり Don Q. と懸けたのである。ドン・キホーテのフランス語読み。わりと気に入っているが、俳句そのものを以後ぱたっとやめているので、使う機会がない。先日、ゴム判も作ってみたけど、これも押す機会がない。それで、先ほど便器に腰掛けているときに、ふとひらめいた。そうだ、この古い家を呑空庵と呼ぼう。そして私が死んだあとも、この家は腐れ落ちるまで『呑空庵』として、訪ねてくれる人に開放することにしよう、と。ちょっとクサーイ話? そりゃそうだ、便所の中で考えついたことだもの。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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