予定通り、朝六時半、I君ご夫妻が車で迎えに来る。クッキーに早めの朝食をやったらぺろりと平らげてしまったけれど、お昼ご飯を置いておくとそれも食べしまうかも知れぬので、今日は帰ってくるまで我慢してもらうことにした。猫たちにはいつもの通りのご飯を少し多めに置いたので、こちらは心配無し。
 大型車はさすがに静かである。グロリアかなと思っていたら、クラウンである。あの山村聡がコマーシャルをやっていた車である。抜群の安定性。しかし聞いてみると、これは単なる贅沢ではなく、毎日曜、須賀川の娘さん宅に行かねばならないから、疲れが残らないためにはどうしても大型車が必要らしい。
 川俣から福島、土湯温泉を通って磐梯山に登る。途中見事な紅葉のパレードだが、頂上に近付くに連れて白樺が増え、ついにはまるで恐山(行ったことはないが)のような土色の山肌が露出していた。浄土平で休んだが、お釜にはあまりの寒さに恐れをなして登らなかった。天気晴朗なりだが、風がものすごく冷たいのだ。
 それから猪苗代湖に向かった。福島県人ながら、実は中通も会津もまったく知らないのである。I君に誘われなかったら、まだまだ行くことはなかったであろう。猪苗代町でガラス館(?)を見物したあと「野口英世記念館」に寄った。新千円札のこともあって、観光客の流れが引きも切らぬようだ。彼の生家や展示物を見たあと、近くの清作(英世の幼名?)庵という蕎麦屋で昼食を食べて、磐越自動車道を通って郡山に出、東北自動車を走って二本松経由で帰路についた。二時近くに帰宅したが、こんな短時間に猪苗代湖まで行けたとはとても信じられない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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