あまりに天気がいいので、バッパさんを迎えに行く前に少しドライブすることにした。今では渋佐に代わって町の海水浴場となっている北泉に行こうと思ったのだが、六号線から入る道が分からず、結局は小浜(おばま)に出てしまった。渋佐と同じくここも河口になっているのだが、川の水は澄んでいて、絵の心得があればぜひスケッチしたくなるような佳景が広がっていた。橋の近くに車を止め、浜の方に歩いていくと、釣り道具を持ったおじさん二人とすれ違った。橋の欄干から下を覗いてみると、15センチくらいの魚が川上に向かって群れをなしている。「これ何ていう魚?」と聞くと、「…」と聞き取れない言葉を返してくれた。聞き返すのも気が引けてそのまま「あっそう」と昭和天皇みたいな答え方をして通り過ぎたが、たぶんハヤかなんかだろう。
 砂浜で妻と写真を撮りあった後、車まで戻りぎわにもう一度橋の上からあたりの景色を俯瞰したが、まるで泰西名画をみるような長閑で広やかな風景である。腰の調子が良くなれば、妻と約束したように、眺めるだけでなく少し歩いて足腰をきたえなくては。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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