栃東が十三勝二敗で九州場所を制した。連日、夕食時に重なるので見ていたが、客の入りが少ないのが気になっていた。別に大相撲のフアンでもないし、国技だからという意識も無いが、これだけ寂しいとなにか応援したくなってくる。福岡の人には悪いが、これだけ客の入りが悪いなら、たとえば鹿児島とか熊本とかと隔年や二年おきくらいの持ち回り開催を考えてもいいのでは。いやいや、そんなこと以前に、どうして東北や北海道で大相撲をやらないのか。なにかもっともな理由があるのか。第一、力士の相当数が北の出身ではないのか。
 大相撲の人気が下り坂なのは、二子山部屋の独り勝ちが続いたからかも知れない。あるいは横綱がハワイ出身やモンゴル出身で占められているから、とか。もしも後者だとしたら、ちょっと了見が狭すぎやしないか。今日だって、もしも朝青龍が勝っていたとしたら、表彰式の前に相当数の客が帰っていたはずだ。大相撲フアンの質が問われる。
 ところで先代の栃東は隣の相馬市の出身である。だから毎年相馬に部屋全体が稽古に来ているはずだ。そう言えば、昨日テレビで解説していた先代栃東(親方名は何だった?)は、明らかに相馬弁のイントネーションである。東京生まれの大関は相馬弁では無さそうだが、小さいときから聞いてきた親父の相馬弁の影響は残っているだろう。
 今思い出したが、確か中学生のころ、巡業で大相撲が原町に来たことがあったっけ。たぶん土俵が作られたのは朝日公園ではなかったか。取り組みを見た記憶はないが、列車から降りてきた力士たちの中に美男横綱吉葉山がいたことをぼんやり覚えている。肌の色がびっくりするように美しかったという印象が残っている。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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