良心より社命

今日は朝から、というより昨夜から雨。大地が潤っている、と考えるべきなのだろうが、テレビや新聞で報じられるわが日本の現状がいよいよ息苦しくなってきたせいか、この恵みの雨もいささか鬱陶しい。
 今年の新入社員の意識調査で、「良心より社命に従う」と答えた若者が四三パーセントもいると知って、暗澹たる思いがした。日ごろ国や親のことなど屁とも思っていない若者たちが、三人の人質に関しては、「国や親に迷惑をかけるのは良くない」などと「にわか良い子」に豹変するのを見て、あゝこれこそ「苛めの構造」そのものと思った。つまり個人より全体を、と見様によってはまことに見上げた精神も、なんのことはない、自分の良心を抑えて強いものにつく、なんとも情けない付和雷同性の表れなのである。苛めにまわる生徒たちは、その子を苛めることが、先生の、クラスの、皆の「ため」になると考えてのことなのだ。
 そんな「ため」など考えず、熟慮の末に自分の正しいと思ったことを勇気をもって実行する若者たちが(たぶん今井君もそうだったと思うが)増えんことを!われらの「メディオス・クラブ」の究極の願いもそこにあるのだが、メンバー一人ひとりにその願いが浸透するには、まだまだ時間がかかりそうだ。もちろん、彼らの誰かが危険なことに向かおうとするなら、体を張ってでも止めるだろうが、しかし世界の平和のために心を砕く若者に成長してほしいというのが、「世話人」の心からなる願いであることには変わりがない。(〇〇君◇◇さん読んでくれてる?)
 いよいよおかしくなってきた世界や日本の動向に、なんら実効的な行動を起こせない自分に苛立つこともあるが、そんなとき、埴谷さんの『永久革命者の悲哀』を読み直す。そして今日も自分の無力さに「歯軋り」しながら、微量の「平和菌」を撒くことにする。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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