家の中を三度ほど探し回ったのに、どの部屋にも「書き置き」が見つからない。暗くなってからの探し物は疲れる。昨夜はそこで探索を中断し、今日の日の出とともにもう一度中に入ってみた。でもやはり見当たらない。いったん家の外に出て、さてどうしたものか、と半ば諦めかけたとき、あっ、もしかして、と思い当たることがあった。それでもう一度家の中に入り、最初の部屋のドアを開けて裏側を見てみた。やっぱりあったじゃないメモ用紙が。そこにはこう書かれていた。
アナイス・ニンに
“私は、私自身が自分はこういう人間だと思っているような人間なのだろうか。それとも、他人が私について考えているようなものなのだろうか。ここで、私には決して知ることが出来ない私自身を前にして、私が書くものは凡て告白となる。そして私は自分に関する一つの伝説を作り出して、その中に自分を閉じ込める”
ミゲル・デ・ウナムノ
かくして、ヘンリー・ミラー『暗い春』の中にウナムーノの引用句を見付けるという課題は、あっけないほどの幕切れを迎えた。つまり第一エッセイ「第十四地区」の表題裏に堂々と書かれていたのだ。それなのに、本文の方を一生懸命探していたわけだ。
ところでアナイス・ニン(一九〇三-一九七七)は、スペイン人のピアニストを父にパリで生まれ育ったアメリカの女性作家。ヘンリー・ミラーとはそのパリで知り合ったらしい。十一歳のときから生涯書き綴った『日記』が素晴らしいと、文学辞典には載っていたが……
それはともかく、引用されているウナムーノの文章はどこからの引用かは、ちょっと分からない。もしかすると、正確な引用ではなく、ミラーがウナムーノを読んで勝手に作り変えた言葉かも知れない。でも言っていることは、いつものウナムーノの主張から離れてはいない。夕食後、上のようなことを書きながらいまさら出典を探すまでもないな、と思いかけたとき、電話が鳴って、川口に住む娘の連れ合いから、予定を早めていま分娩室に入りました、との連絡が入った。受話器を置いたとき、彼から初めて「お父さん」と呼ばれたことに気がついた。