巨大ホルスター

ちょっと品の無い巨大拳銃のホルスターみたいなものができあがった。もともとはバッパさんの古いバッグである。鎌倉彫りで彫られたような花柄をあしらった革の手提げカバンを解体して、マルタという長さ三十四センチ、幅十一、五センチのサンポーニャのケースを作ろうと思ったのだ。
 もちろんその作業にかっかりきりだったわけではない。でも完成しないうちは他のことが手につかず、結局二日がかり。それもまだ未完成である。普段は眠っている職人気質(!)が眼を覚ましたのだろうか。他人からみれば徒労と思える作業に没頭する羽目になった。
 まずバッグを解体して、胴体(?)の片側をさらに半分に切り、かなりの厚さの革の縁に沿って千枚通しで針穴を開け……いやいや細かい作業の話はやっても意味がない。いずれどこかでお目にかける機会があるであろう(ないか?)。でもいちばん苦労したところだけはご報告させていただきたい。先ほど革の縁に沿って千枚通しで針穴を開けたといったが、厚手の革と革を縫い合わせるには、かなり太目の糸が必要である。理想的なことを言えば、細い革の紐で編んでいけばいいのだが、そのための道具もないし、もともとそこまで凝る価値も無い代物である。
 それで手元にあった凧糸を使うことにしたのだ。だが太い凧糸を通す針がない。それで糸の先端を糊で固めて、つまり糸自体をいわば針のようにして、千枚通しで開けた穴に通すことにしたのである。これがなかなか根気にいる作業となった。糸の先端を折り曲げないようにして細い穴に通すのは至難の業なのだ。なにやら聖書の中にこれと似たような状況を設定した喩えがあったな、などと考えながら作業を進めていくうち、あゝ俺はなんと無駄なことに時間を費やしているんだ、と絶望的な気分に落ち込んだ。
 でもぶっちゃけた話、これ以上価値のある時間の使い方って差し当たって何がある?

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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