生きていればこそ

世間ではお盆休みも終わって、それぞれがそれぞれの日常に帰っていったのであろう。先日二泊していった姪の恵からも、いつもの通りの会社の仕事に戻ったとのメールが届いた。バッパさんもそれとは違った意味で旧に復した、と思っていたが、ここ数日、わずかながら変化が見られるようになってきた。具体的には朝昼晩ともこちらの用意したものをおとなしく(?)食べるようになってきたのだ。もちろん月曜以外はほぼ毎日センターに出かけるので、小さなタッパに弁当を作ってやる。まるで小学生の子に弁当を持たせる母親のような気持ちになってくる(キモ悪っ!)。
 先日拙宅に尋ねてこられた市会議員Mさんとの話のあと、浪江・小高の原発建設予定に対していよいよ反対の態度を鮮明にしなければ、と思いつつ何から始めればいいのか皆目見当がつかない。そんなとき、ネット上で土井淑平という人の『反核・反原発・エコロジー』(批評社、一九八六年)という本の存在を知りさっそく注文したのが、昨日届いた。副題が「吉本隆明の政治思想批判」とあるとおり、吉本隆明の反・反原発発言への反論が軸になっているようだが、私自身吉本隆明がどのような発言をしたのか知らないので、今のところなんとも言えないが、しかし確かオウム真理教についても、世間的常識(?)を逆なでするオウム擁護ともとれる発言があったらしい。いや直接確めもしないで軽はずみなことを言うべきでないかもしれないが、思想というものを極限まで推し進めれば、もしかして一般的な言語表現とは切り結ばない領域に迷走(?)する危険があるのでは、とは日ごろから思っていることではある。
 でも命にかかわることで、論理的整合性など、何ほどの価値があろうか、とも思う。いやそんなことより、とりあえず自分はこの新たな原発建設予定という現実にいかに対応すべきか、少し真面目に(?)考えてみたいのだ。自分の血を引く子や孫たちは、今のところこの相馬の地に住むことは無さそうだが、でも美しい海岸線を持つこの地方が、核の潜在的危険に絶えず脅かされ続けることに無関心でいたくはない。いや既存の第一、第二原発の永久稼動停止をも射程に入れた執拗な反対運動を、どう進めたらいいか、じっくり考えていきたい。どうぞそのための気力が出ますように!

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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