引き揚げ(者)

いつの間にか机の周りに旧満州関係の本が山積みになっている。キリがないので、注文済みのものが全部届いた時点で、当分買うのは控えよう。それにしても最近の残留孤児関係のものも含めてずいぶんな数の本が書かれたものである。生まれは山梨だが終戦を満州で迎えた坂本龍彦が、自身の経験だけでなく、新聞記者らしい取材力を駆使して満州問題に多角的なアプローチをしていることを今回初めて知った。私より六歳ほど年上だから、記憶も鮮明らしく、それだけでも羨ましいと思う。
 満州経験者だけではなく、塚瀬進のような若い世代の研究者が、新しい角度から旧満州問題に迫っているのも頼もしい(『満州の日本人』、吉川弘文館、二〇〇四年)。素人考えでも、民族や国のあり方、異文化理解や、ときにはその融合や新たな創造を考える上で、旧満州再考からいろんなヒントを引き出せるはずだ。
 たとえば残留孤児の来日などのニュースを見ながら、自分自身もあと少しで孤児になるところだった(引き揚げ時、雑踏する群集の中で危うく迷子になりそうになった)ことを思い出すことはあっても、今まで一度も自身の切実な問題として考える気にならなかったのは何故だろう。もはや取り返しのできぬ過去の一断片として、できればそっと忘却の海に沈めたかったのだろうか。
 確かにある時期まで、「引き揚げ(者)」という言葉は蔑称であった。一攫千金を夢見て大陸に渡った一発屋とまでは行かないにしても、内地ではうだつが上がらないあぶれ者・はみ出し者、がそれみたことか予想たがわず落ちぶれて帰ってきた、くらいには思われていたはずだ。「大陸浪人」などと言う表現にはどこかしら夢がふくまれてはいたが、でも結局は挫折者に変わりはなかったのである。
 父と母(バッパさん)のうち、どちらが先に大陸行きを言い出したのだろう。今さら聞くのもこっぱずかしい気もするが、そのうち聞いてみようか。一応は師範学校出の正教員だったバッパさんではなく、没落士族の出で代用教員だった父の可能性が高いとは思うが。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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