お詫び、というより弁解

怠け癖がつくと際限なく怠けてしまうものです。最後に書いたのが昨年の十月二十日ですから、ほんとうに長いあいだご無沙汰してました。このあたりでストップをかけないと、このままずるずると行きそうなので、今日は意を決してパソコンに向かってます。ともかくまた明日から書きます、書き続けます。
 べつだん体調をくずしていたわけでも、大きな事件に巻き込まれていたわけでもありません。初めにも書きましたように、ただただ怠けていたのです。強いてそのきっかけを挙げるとすれば、昨年11月5日に、やっと大連から息子のお嫁さんの穎美が来日することができ、それ以後、バッパさん、私たち夫婦、それに息子夫婦の三世代同居が始まったことでしょうか。その間いろんなことがありました。でもここに来て、やっとなんとか落ち着いてきました。
 これまでとはだいぶ生活スタイルが変わってきました。あっという間に時間が過ぎていくというのが一番の実感でしょう。それは忙(せわ)しないというというより、充実しているから、と言いたいのですがどうでしょう、私にも分かりません。
 まず毎日9時半から1時間ほど、穎美のための日本語の授業をやっています。今のところ教科書は主に私が書いた小説(まがい?)の文章です。『ピカレスク自叙伝』、『猫まみれ』を読み、今は『ダリのことなど』の最後あたりを読んでいます。彼女の日本語は、日常会話はほとんど不自由しませんが、読むということに関してはトレーニングが必要です。それで日中辞典を参照しながら、そして必要とあらばアシスタント役の妻に例文を作ってもらったりしながら、楽しい勉強をしています。
 昼食と夕食の準備は、台所で妻と穎美と私の三人で、まるでピクニックの弁当作りをしてるような楽しい料理教室となっています。これまで作ったこともない肉じゃがとか鮭のあらを酒粕で煮たものとか、いろんなものを作っています。といって実質20分以内で作れる簡単かつ質素な(我家ではすべて完食なので生ごみが出ません)料理ばかりですが。それから時に息子を入れた四人で、公園や山裾あるいは海岸まで車で行って、そこで散歩やバドミントンなどの軽い運動をこなします。
 つまらぬ近況報告はここまで。明日から真面目にやります。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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