明日は大寒

五日前転倒したとき、やはり無意識裡に腰をひねったのだろうか、今ごろになって腰痛が出てきた。ギックリ腰とどう違うか、と聞かれても返事に窮するが、どうも少し違う。ギックリ腰の時は、とつぜん針を刺されたように腰を動かすことが出来ないのだが、今度の腰痛はともかく腰を動かすことは出来るのである。動かすことはできるが、それにはかなりの痛さがともなう。掛け声をかけなければ、椅子から立ち上がることが出来ないし、相当の痛さを覚悟しなければ歩行も困難なのである。
 その上、左の頬骨の打撲傷・擦過傷の影響がぐるりと目の周辺に広がってきたのである。つまり濃い紫色の帯が目頭まで到達して、ちょうど負け戦のボクサーの顔みたいになってしまったのだ。だから外出のときには真夏に使った濃いめのサングラスを掛けなければならない。
 こんな状態なのに買出しにも行くし、食事の準備もするし、二つの町の文化センターのスペイン語の授業も、頴美への日本語の授業も休まないで頑張っている。自分でも偉いなーと思いながら意地を張っている。たぶん意地でも張らなければ、すべてがたがたと崩れていきそうで怖いのかも知れない。
 それにしても寒さが骨身にしみる年だ。雪の被害が出ている地方の人たちには怒られそうだが、いったいいつまで寒さが続くのだろう。マイナス3度くらいで震え上がっているのだから、テレビのニュースで報じられた今年マイナス66度のところなど、想像をはるかに越え、考えるだに身震いが止まらない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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