先月末から息子の嫁がすぐ隣の産婦人科医院に入院していて、その間、私たち夫婦は弁当生活を続けている(息子は適当に自炊している)。息子夫婦と同居するようになったときから、家計や台所仕事をすべて嫁にまかせるようになった矢先での入院なので、いまさら台所仕事に復帰する気が起こらず、そのうち退院するだろうと弁当生活にしたまま今日に至ってしまったのだ。
幸い嫁も胎児もなんとか大事に至らず八ヵ月目に入ったので、まずまず心配はないのだが、嫁の方は実家の父親が単車事故で大怪我をして入院するなど、初めての出産に加えての心労が重なり、ほんとうに可哀相である。垣根を越えればすぐそばの病院とはいえ、さぞかし心細いだろうと、毎日妻と見舞いに通っている。
そんなこんなで、なんとなく落ち着かない、中途半端な気持ちで毎日を送っている。いうなれば旅先にあるような気分の中にあって、そのため時間とか一日に対する感覚に変調をきたしているようだ。つまり24時間ごとにきちんと一日が過ぎていき、その時間の節目節目でやるべきことを片付けていくというふうに考えられなくなってきたのだ。
でも不思議なことに、こうなったらなったで、今までとは違った時間の使い方が見えてきたのである。今までは、時間の区切り区切りでひとつの行為を終え、急いで次の行為に取り掛かる、といった余裕のない分刻みの時間のすごし方であったのに、今ではひとつの行為をじっくりあわてず持続させることができるようになったのである。たとえば読書である。旅先での、とりあえず当面のノルマがない、ゆったりとした時間の中での読書のように、一冊の本をじっくり味わいながら読むことができるようになったのだ。
今までなんとなく読んだつもりになっていた小川国夫の作品を、実はほんとうの意味では読んでこなかったことに初めて気がついたのも、そんな不思議な時間の過ごし方のおかげである。かんたんに言えば、地中海を舞台とする作品世界こそが小川国夫の真骨頂であって、藤枝・静岡など東海地方を舞台にした小説にはあまり重要性を認めようとしてこなかったことが、とんでもない思い違いであることにようやく気づいたのだ。
今机の上に、彼からいただいた書名入りの『故郷を見よ 小川国夫文学の世界』がある。昨年静岡新聞社から出た、著者の近影を記録したDVDを付けたグラビア主体の本である。そのタイトルの意味も深く考えずにいたのだが、ここ数日、全集第八巻に収められた東海地方を舞台にしたいくつかの短編を読んでいくうち、小川国夫は本気で「故郷を見よ」と言っていたのだ、と震撼させられたのである。
地方の文士として、名士として、故郷に対していわば馴れ合いの関係にあるのでは、などと思っていたことがとんでもない間違いであったことが痛いほどわかってきたのだ。ショックである、驚いている。藤枝は、静岡県は、彼に心から感謝すべきだ、と心底思っている。近・現代の日本文学で、一人の作家にこれだけ愛された土地も稀有であろう。たとえは少し唐突だが、北斎あるいは横山大鑑の赤富士抜きに富士山が見れなくなったように、藤枝あるいは大井川流域の風景はもはや小川国夫の眼差し抜きに見ることは不可能になったわけだ。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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