バッパさんがつい最近まで属していた土地の同人誌『海岸線』第三期17号(2006年5月)を見ていたら、バッパさんのこんな文章にぶつかり、正直感動した。90を過ぎたばあさんがこんな文章を書いていたとは、我が親ながら天晴れと言いたい。
化粧については、こんな思い出があります。
小学校一年生になったばかりの四月、小高神社の祭りがあり、村上浜まで遷宮の神輿ののお供をして、巫女になって、白い水干に朱の袴姿で歩いたことがありました。
父は私の巫女姿が見たくて、浜までついて来たわけでしょう、砂浜で神主が祝詞を上げている最中、私がふと正面を見ると、見物客の中に交じって、父が私の方をじっと見ていたようですが、いかにもがっかりしたようなふうで、まもなく立ち去りました。
家に帰ってから、父は < ちよの化粧した顔はめぐさくて、見られたもんでなかった > と申される。自分は大してこまったことでもないのに、と聞き流してしまったのですが、父はさすがにあきれたふうでした。
小学校を出てから、いつの頃からか、娘の不器量を慰めるかのように、父が< 女は器量じゃないよ…>と、ポツリと言ってくれたことは印象深い言葉でした。
トルストイの作品に、思春期の頃、鏡をつくづく見ながら自分の顔に見切りをつけるくだりがあるが、私も、ある昼下がり誰もいなくなった縁側でこっそり鏡を見ながら、同じ心境になったことがある。< 女に生まれながら、どうしてもっと美人に生まれなかったのだろうか > と思い、それ以来、自分の容貌には絶対に自信を持つまいと心がけるようになったようです。それはむしろあきらめの心境で、気が楽になり、化粧品には無駄金は一切使わず、みな本代の方に惜しみなくまわすことになりました。
これも、父の励ましとも慰めともつかぬことば一つがきっかけになりましたが、そのことはさらに私の一生を支えてくれたようなものです。
何回かに分けて連載した「回顧録」の「其の十一 生い立ちの記録二 一冊のノートから」の中の文章である。今までバッパさんの短歌にしろ文章にしろいいと思ったことは一度もないが、今回の文章には脱帽である。何度か投稿の前に、自信がないから見てくれないか、と言われたことがあるが、そのたびに、「自分で文章の良し悪しが分からなくなったら終わりだど、同人やめたらいいんでねえの」などと冷たくあしらったことが悔やまれる。
ところでその「一冊のノート」というものがあるなら、それだけ独立して本にしてやろうか、と思っている。面と向かって褒めると…そう、仕方なかんべ、と言った顔して作ってやろう。そしてさらに書き足したかったら、聞き書きはさすがにおしょしいので、テープにでも吹き込んでもらおう。面倒くさいけれど、しょうがなかんべ。