北の大地=アイヌモシリ

ところでアイヌという呼称が「人」を意味するということを今回再確認した。彼らにとって和人はシャモ。隣人を意味するアイヌ語「シサム」に由来するとも、「和人」のアイヌ読みとも言われる。なるほど。人口は現在、北海道に2万数千人、道外に数千人らしいが、もちろん正確な数ではない。北海道、千島列島、樺太(サハリン)をアイヌモシリ(アイヌの住む大地)と言い、アイヌ民族の起源については諸説がある。
 しかし縄文時代に広く日本列島に居住していたことは確かで、その南限は北関東にも及ぶのではないか。例えば現在私の住む相馬地方にも、決してヤマト言葉ではない、おそらくはアイヌ語に由来すると思われる不思議な地名が残っていることを、以前バッカメキを例に触れたことがある。
 帯広は私の生まれ故郷で、満州での3年ばかりを除いて、小学五年まで暮らしたところだが、その地名はアイヌ語で「広い川原」を意味する。今回の「ここにアイヌ」でも何回か帯広の名が出てくるが、アイヌの中心地の一つだったのではなかろうか。というのは、少年時代、後にアメリカ進駐軍によって禁止されることになるイヨマンテ(熊祭り)の最後の祭式を確かに目撃したからである。熊はツキノワグマではなくヒグマ、それも成熊(?)ではなく小熊だった。記憶は薄れてしまったが、実際に生け贄にされたのではなく、ただその真似だけではなかったか。
 アイヌに関する悪い噂を何度も耳にした。何もしないで朝から飲んだくれているなど。しかし今にして分かるのは、差別され、仕事にもつけない境遇に追い込まれていたアイヌの悲しみの深さである。
 さて母方の先祖が八戸で、その安藤姓はもしかすると、あの安藤昌益とつながらないか、という謎解きがここ数年の私の課題ではあるが、恥ずかしながらその後まったく進展がない。母方の従弟が昔そのことを調べていると風の噂に聞いたことがあるが、その従弟とも連絡を取らないでここまで来てしまった。残された時間(知力と気力を考慮しての)がそう長くは無いのであるから、そろそろ行動に移さなければならない。しかしここで昌益の名を出したのは先祖探しとは関係がない。要は彼が、『自然真営道』で、和人に対するアイヌの反乱に対しても、それを正当化する発言をしている、とどこかて読んだ記憶があるからである。彼の生きた時代にそれだけのことを言ったシャモがいたのはスゴイことである。
 ただ、今のところ、その箇所がまだ見つからない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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