お手紙拝受。二回に分けて書かれたお手紙、嬉しく拝読しました。後半部では、歩行がむつかしくなったとありましたが、その後いかがですか。
実はこの手紙、病室で書いています。いや正確に言えば、今日の夕方、近くの量販店で買ってきた台湾製の小さなパソコンで打ってます。もっと詳しく言えば、昨日とうとう美子を入院させたのです。最近それこそ歩行が難しくなり、階段の昇りなど後ろから支え上げるようにしなければならなくなったので、私とばっぱさんんが月一度診てもらっているクリニックの医師に勧められて、先週整形外科に行ってみたのです。すると背骨の一部(上の方)がつぶれて、手術しなければ歩けなくなると診断され、それで昨日入院したわけです。実のところ、認知症の進行に伴う神経組織の不具合かと半ばあきらめていましたので、外科手術でまた歩けるようになるならむしろ幸いと思っています。手術の日程はまだ決まっていません。
ともあれ石原さんが頑張っておられるので、私たちも負けてはおれません。また以前のように歩けるようになって、元気になられた石原さんに会いに行くのも夢ではなく現実のことであって欲しいと心から願っています。
病院は一応消灯は九時です。今これを明かりの消えた個室のベッドの傍で打っています。目に悪いので、今晩はこの辺でやめておきます。
お早うございます。朝です。今日は十時ごろ、一度家に帰ります。私が片づけ物などしている間に、息子たち親子が車を使って病室を見舞ってくれることになっています。こんなふうに一日のあいだ何回か家と往復の日々が続くでしょう。明日はばっぱさんの九十七回目の誕生日なので、現在は十和田市の教会にいる兄と、いわきの姉が来ての、家でのささやかなパーティーを予定しています。たぶん私自身は、ばっぱさんの送り迎えだけで、パーティーには出ないでしょう。美子の食事の介助が必要だからです。
入院当初は、これを機会にパソコンから離れて読書と手書きのシンプルライフをと思ってましたが、習慣と言うものは恐ろしいもので、ボールペンで手書きの文章を書くことが実に難しくなってしまったことに気づかされました。それで一時は、窓の高い、決してきれいとは言えない小さな病室(寝る時は床に敷いたゴザの上のセンベイ布団に寝ます)を独房と見立て(傍らの妻は居ないことにして)、己を孤高の亡命詩人と見做して、「獄窓から」という珠玉の詩篇でも書きつけようと悲壮な決心をしましたが、無理でした。かくなるうえは、文明の利器を独房に持ち込んだ政治犯とでも考えて、邪悪な為政者たちに向けての怒りのメッセージでも発することにしましょう。
さてここまで書いた文章をフラッシュメモリーという小さな棒状の記録媒体に移して、家のパソコンでプリントアウト。ではまた。
七月二十九日朝。
石原保徳様
お見舞いありがとうございます。いまちょっと家にもどったところ。お元気で夏をお過ごし下さい。ではまた。
上の御返事先日すでにメールでお送りしたのですが、気が付いてみたら私の若いネット補佐役のS君が、このような新しい機能を付けてくれたことに気づき、改めてここから送信します。今後ともよろしく。