病室から(その二十五)認知症患者と選挙権

八月二十五日(火)晴れ

 認知症患者と選挙権、今年初めてこの難問に直面している。五日後に迫った総選挙の期日前投票制度をこの病院でも利用することになっている。数日前、その申請書用紙が配られ、美子の分を一応は申請した。実施は明日の午後に予定されている。さて問題だ。美子が実際に病院内に設置されたその投票所に、看護師さんに車椅子で連れて行ってもらったとして、さて投票行為はできるか。できないのである。
 今まではどうしていたか、というと、投票所で選挙人名簿の確認のあと夫婦一緒に空いた隣り合わせのブースに進み、私は自分の投票行為と同時に隣の彼女の投票行為、すなわち候補者の名前の記入を助けた。ちょっと恥ずかしいのだが(ちっとも恥ずかしいことではありません)、彼女が認知症になる前も、大同小異だった。つまりこと政治に関して二人の見解はいつも同じ、というより彼女はすべて私の見解を自分のものとしてきた。
 夫婦であっても政治的見解や信仰は互いに自由であり、また互いにその自由を侵害してはならない、というのは原則的には大賛成。しかし夫婦のどちらかが相方の見解に完全に賛成し同一であっても、それこそ「自由」であろう。幸か不幸か、私たち夫婦は出会いから現在まで、それらに関して意見を違えたことはない。なんと自主性のない妻だこと、と批判されても、それこそ「カラスの勝手」でしょ、と言い返すしかない。
 さて今度の選挙である。入院してなかったら、指定された投票所で従来通りの投票を行なったであろう、しかし今年は病院内。看護師さんに訊くと、字が書けない人でも意思表示があれば付添の看護師(あるいは立会人?)が代行すると言う。そこで問題が発生する。妻は私の意見に賛成するが、横にいる看護師が何も言わなければ(しなければ)何の意思表示もしないだろう。看護師さんは戸惑うばかり。
 しかし看護師さんが代行するというのにも問題がないわけではない。つまり妻が明らかに代行を依頼しないかぎり他人の投票行為のプライバシーを侵害しかねないからだ。つまり代行人は事前に守秘義務を宣誓あるいは少なくともしっかり納得していなければならない。
 それにもし妻が看護師ではなく夫を代行人に指名した場合、どうなるか。とうぜんそれを認めざるをえないだろう……しかしそこまで行くのに少なからずの混乱が(つまり選挙管理委員会側の)生じるであろう。
 それで結論から言えば、今回、妻は棄権する(させる)ことにしよう、と思っている。どうも今のところ、認知症患者の選挙権行使の法的解釈はまだなされていないように思われるからである。さらに微妙なことを言えば、とうぶんは現状維持つまりすべてがペンディングな状態が望ましい、とさえ思っている。つまり下手に問題視することによって、認知症患者の選挙権を否定する動きが出てくることをむしろ危惧するからだ。
 たとえば禁治産者(1999年の民法改正によりその呼称は廃止され「成年被後見人」と呼ばれることになった)は選挙権を失うと聞いている。もしそれが事実だとすれば、確かに財産問題に関して法的権利を喪失するのは理解できるが、もっと広い人権の視点に立てばいささか問題なきにしもあらずと思う。成年被後見人にしてそうであれば、認知症患者の選挙権が否認される可能性はかなり大となる。
 もっとも認知症そのものの認定が必ずしも明確ではない。事実、美子は現在、社会的(法的?)には認知症患者ではない。いかなる診断も仰いではいないからである。
 だから先ほどの私の結論、つまり今回は美子は棄権する、はきわめて現実的な判断だと自負する。現在何百万人もいると推定される認知症の方々ならびにその家族の方々は、それぞれの場でさまざまな対応を迫られているに違いないが、現行の投票方式の中でできうる限りその患者さんの意向にそった判断をされていくのが良いのでは、と思う。美子も次回の選挙では、かつてのように私と一緒に堂々と立会人の前を通り過ぎ、並んだブースで隣の夫の手助けを得て無事選挙権を行使するであろう。
 たとえばどこかの認知症対応の施設で、経営者側が入所者の投票を一手に操作して、ろくでもない候補者や政党にまとめて投票するようなことがない限り(今のところそういった事件は無さそうだ)、従来通りの曖昧で緩やかな投票方式が続いていけばいいと考える。認知症患者の配偶者もしくは身内が、障害者問題にどう対応してくれるかを候補者選びの一つの目安として、その患者の代理人となって選挙権を行使するのは、決して否定さるべきものではないと考えるからである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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