このところ机の上の書見台にはいつもスペイン語版のペソア『不安の書』が載っている。まだペソア三昧状態が続いているわけだ。といってページを追って熟読しているわけではない。ときおり気が向いたら、目の止まったところをゆっくり読むのである。時に解釈に苦しむ時は、邦訳の該当箇所を探すのだが、スペイン語版の通し番号は476番までで、その後「補遺」34編が続く。しかし邦訳では460番までで、それらが三部に分かれている。いやそんなことより両者の構成がまるっきり別々で、たとえばパスカルの『パンセ』のようにきっちり番号が固定されているわけではない。
つまり該当箇所を探すのはほぼ無理。だから邦訳の該当箇所を探すうちに面倒臭くなって、こんどは邦訳の適当なところを読み始めたりしている。もともと系統立って書かれたものではないのだから、こういう読み方も許されるはず。
先日アマゾンの商売上手のことを話したが、今日も何気なく自分のカートの下に出ている「おすすめ品」を見ているうちに英訳版が欲しくなってしまった。ペンギン・クラシックスで出ているのだ。2002年出版で544ページということだから抄訳でなく全訳らしい。邦訳はクアドロス編の『全集』に拠ったということだが、ブラジルからもゼニスという人の編集で出ているそうで、英訳がそのどちらを定本にしたか気になる。つまりスペインのアンヘル・クレスポのように単なる翻訳者ではなくペソアを熟知した編者の手になるものだったら、英訳版の通し番号もまったく別物という危険性があり、そうなると三つの版を比較しながら読むことは不可能で、初めからまったく違う作品と観念して読むしかないであろう。
とここまで書いてとりあえずアップした。今日の日付をもらいたいからである。つまり、ぶっちゃけた話、今日は実は机に向かっても種切れというか頭に何も浮かばなかったので、ついペソアをダシに無理に話をでっち上げたのである(もちろん書いている内容そのものは嘘ではない)。なにもそこまでしなくても、と思われるであろうが、三ヶ月ぶりに再開して今日まで連続八日間続けたのはいいが、ここで途切れたらまた数ヶ月書かなくなる(書けなくなる?)のでは、という強迫観念に捉われてしまったのである。
とんだ醜い楽屋裏をお見せしてしまったが、明日からはもう少し余裕をもって、つまり書けないときはニ、三日休むくらいのペースで、気楽に書いていこう。それにしても明日が今年最後の日になってしまった。なんと月日の経つことの速いこと!
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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