小休止

久しぶりに三好達治の詩が読みたくなった。美子が大好きな詩である。

   
  甍のうえ

   あはれ花びらながれ
   をみなごに花びらながれ
   をみなごしめやかに語らひあゆみ
   うららかの跫音(あしおと)空にながれ
   をりふしに瞳をあげて
   翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
   み寺の甍みどりにうるほひ
   庇(ひさし)々に
   風鐸のすがたしづかなれば
   ひとりなる
   わが身の影をあゆまする甃(いし)のうへ


ついでにもう一つ。同じく『測量船』(昭和5年)の中の詩である。

  
  乳母車

   母よ――
   淡くかなしきもののふるなり
   紫陽花いろのもののふるなり
   はてしなき並樹のかげを
   そうそうと風のふくなり

   時はたそがれ
   母よ 私の乳母車を押せ
   泣きぬれる夕陽にむかって
   轔々(りんりん)と私の乳母車を押せ

   赤い総(ふさ)ある天鵞絨(びろうど)の帽子を
   つめたき額にかむらせよ
   旅いそぐ鳥の列にも
   季節は空を渡るなり

   淡くかなしきもののふる
   紫陽花いろのもののふる道
   母よ 私は知っている
   この道は遠くはてしない道

 

 朝方、廊下の風鈴が一瞬鳴ったように思ったが、なんのことはない、今日も猛暑日だった。夜に入っても暑さはじっと動かない。それでせめて爽やかな涼風もしくは風鈴のような詩を読むことにしたのである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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