去りやらぬ暑さの中で

台風接近のせいか数日天気がくずれ、雨もよいの日が続いたので、気温が少し下がった。しかしこのまま涼しくなってくれるのでは、との願いもむなしく、今日の午後などは盛時の暑さに戻ってしまった。どうにも我慢ができなくなり、二階廊下の夜間用のカーテンを閉めてクーラーをつけた。
 井上ひさしの『一週間』をまだ続けて読んでいる。その間、米原万里についての本や『ハルビン学院と満州国』(芳地隆之著)などがアマゾンから届いて、またいろいろ新しいことが分かってきた。また『一週間』の巻末の主要参考文献を見ていたら、この小説で重要な役割を演じている「日本新聞」、つまり赤軍将校たちと日本人捕虜が協力して発行していた新聞が、虚構ではなく実際のものであることも分かり、びっくりしている。その復刻版が朝日新聞社から1991年に出ているらしいのだ。
 テーマによりけりではあるが、この小説のような場合、そのリアリティーを支えるためには、可能なかぎりの文献的跡付けが必要なことが分かってきた。以前、父のことを書いてみたいなどと言ってはみたが、そのためにはあの時代のことをよほど読み込まなければ無理であろう。わが貞房文庫にも満州や引き揚げについての文献を少しずつ集めてはきたが、先ずそれらを読むことから始めなければなるまい。涼しくなったら…あっ、そんなことでは駄目だめなんだなあ。
 最初は当時出版されたもの、あるいはその復刻版から読んでいこう。たとえば次のような文献から。

  • 徳富正敬『満州建国読本』、日本電報通信社、1940年。
  • 坂本其山『歴史より見たる日本と満州』、日比谷出版、1942年。
  • 『満洲生活案内』、満洲事情案内所編、康徳8年、6版。
  • 『満州補充読本【復刻版】』全六巻、国書刊行会、1979年。
  • 『満州文藝年鑑』第一、二、三輯(昭和12、13、14年)、復刻版、葦書房、1993年。
  • 『満洲読本』、南満洲鐵道株式会社編、1940年8訂版、復刻版、国書刊行会、1985年。

それにしても、早く涼しくなって欲しい。そしたら少しは元気も出てくるだろうに。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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