昭和三十四年四月から三十六年三月まで、私は初台にあったレデンプトール学生寮というところに住んでいた。大学二年生の春から三年生の春までの期間である。その前、つまり一年生のときは、保谷市の叔父の家に居候していた。と言って、母の名誉(?)のために言っておくが、きちんと食費を払っていたから、正確には下宿していたわけである。もうどこかに書いたような気もするが、そのころちょうど母つまりばっぱさんの結核が再発したり、家のローンの支払いが大変だったりで、それを見かねてであろう、大学を中退するよう叔父に説教されるなどのことがあって、叔父の家にいづらくなり、それで安い寮を探して見つけたのがレデンプトール学生寮だったのである。
レデンプトールなど聞きなれない言葉だが、カナダ系のカトリック修道会の名で、訳せば「世を贖う神」つまり救世主の意味である。初台に修道院と教会があり、一種の慈善事業の意味で、安い寮費でいろんな大学の学生、中には予備校生が二〇人ほど住んでいた。どういう経路でその寮の存在を知ったかは覚えていないが、たぶん上智大学の同級生S君が先に入っていて、彼の口利きで入寮したのではなかったか。そして全くの偶然だったが、そこにむかし帯広の教会で知り合いだった一つ年上のK君がいたのである。
表題の中野陸軍学校は、このK君を介して知ることになった。もちろんそんな学校は疾うの昔に無くなっているが、そこを出た一人の旧軍人とかかわることになったのである。先に述べたような事情で、ありとあらゆるアルバイトをしなければならなくなったが、その内の一つに、K君が誘ってくれた仕事があった。K君はもうだいぶ前からその仕事をやっていたらしい。仕事はものすごく簡単だった。つまりどこから引っ張りだしてきたのか、すでに他の雑誌などで記事になっているものを原稿用紙に清書するだけのものであった。K君がもっと難しい仕事をまかされていたかどうかは覚えていない。
つまりその中野学校出の男は、「北方農業」とかいう雑誌の編集者らしかったが、奇妙なことにどこにもオフィスはなく、私鉄沿線の駅近くの、二階建て木造家屋の二階に間借りしているようだった。或るとき、原稿を届けに訪ねていったら、どうみても奥さんではなさそうな女が出てきた。要するに実に胡散臭い編集者なのだ。彼が中野学校出であることはK君が教えてくれた。中野学校と聞いて怪訝そうな顔をした私に、K君は、あの有名なスパイ学校さ、と教えてくれたのである。
あとで知ったもっと正確な情報によれば、中野陸軍学校とは旧日本陸軍の情報学校で、一九三八年に創設され、情報の収集、分析処理、諜報、謀略を任務とする専門家を養成した学校である。「正規将校から下士官にいたる五種の学生を教育し、卒業後は陸軍の情報機関に配属、太平洋戦争中各地で任務を遂行した」とある。おいおい分かってきたのは、実はその雑誌は、いわば暴露記事を掲載して、それを種に北海道の農業にかかわっている大企業から金をいただく(?)雑誌のようであった。だから私などが清書した記事は、いわば雑誌の体裁をとるためのどうでもいいような記事だったらしい。
村上春樹の『ノルウェイの森』に出てくる中野学校出の男も胡散臭い、得体の知れぬ男だったが、あのアルバイト先の男もまことに胡散臭い男であった。誌名を確かめたくて「北方農業」を検索したが出てこない。念のため「日本の古本屋」を調べると、北海道農業会議が出版元の「北方農業」という雑誌の一九五三~一九九三年分百八十五冊、九二五〇円というのが出ていた。北海道の酪農問題などを扱う真面目な雑誌らしい。するとあの当時、私たちがかかわった雑誌は全くのダミーだったのだろうか。どちらにしても、いまさら確かめるつもりはない。だいいちどんな記事を清書したのか、それさえまったく覚えていないのだから、そしてあの中野学校男もとっくにあの世にいってしまったであろうから。
えっ、あの締め切りのある仕事のことですか、恥ずかしながら今日も手をつけませんでしたー。
【息子追記】立野正裕先生(明治大学名誉教授)から、父の没後にFacebook上で頂戴したお言葉を転載する(2021年2月19日記)。
表題がわたしに想起させるのは中野陸軍学校ではなく陸軍中野学校ですが、要するに両者は同じスパイ養成機関のことと察せられます。記事の大部分はわたしには知識のないことですが興味深く読ませていただきました。フィクションとしての『陸軍中野学校』のほうはよく存じています。同名の映画があり、市川雷蔵主演でシリーズが何作か作られました。原作もシリーズで刊行され、その大部分がしばらくわたしの書架にありました。映画は第一作が優れており、映画館に二度見に行った覚えがあります。雷蔵扮する主人公の恋人役の小川真由美を、たぶんこの映画でわたしは知ったと思います。物語のなかで辿る哀切な運命に同情を禁じ得なかったものです。先生が映画または原作をご存じだったかどうかは分かりませんが、記事から察すると、中野学校出身者に対する好感はお持ちでなかったようですね。じつはわたしもフィクションは別ですが、実際の中野学校とその出身者の活動には否定的な感情をしかいだいてはおりません。雷蔵が好きだったので第一作はとくに印象深く覚えていますが、友人が原作をあるときわたしに全巻無償で提供してくれましたから、小説も片端から読んだものの、たびたびの引っ越しで消息不明となりました。もしかすると岩手の実家に送ったまま段ボールのなかで眠っているかもしれません。『ノルウェーの森』に中野学校出身者が描かれていることもいまはほとんど記憶にありません。どういうわけか、村上春樹の小説はわたしには面白いと思われたことがついぞなく、したがって初期作品から記憶に稀薄で、熱烈なファンの語るところを聞いていても、いよいよ興味索然とさせられるばかりです。話を戻しますが、中野学校出身者の戦時下の活動実態は多岐にわたりましょうが、たとえば沖縄の友人から聞かされた例ですと、学校に教師として赴任し、児童たちから慕われていた新任の先生が、あるときを境に豹変して急に威圧的になり、児童も父兄も震え上がったそうです。敗戦が決まると姿を消してしまい、のちに中野学校出身者が沖縄の人々や他の島民監視のために送り込まれていたことが判明したそうです。ことほどさように、フィクションで想像するのとはおおちがいで、中野学校出身者の活動の中心は国民監視にあって、ゾルゲ機関のような反帝国主義の諜報活動とは質を異にしたものだったと思います。正体が分かってみれば、愛国とは片腹痛い、国民にとってはいわゆる特高と似たり寄ったりの組織だったでしょう。戦後だいぶたとうというのに、その出身者のなかに詐欺や恐喝まがいの悪事をはたらく者が生き残っていたという例も、調べればまだまだ同じような事件が出てくるでしょう。