女の桟(かけはし)

たしか暑い盛りの八月に、■氏が拙宅までわざわざ届けてくださった五冊の雑誌を、今日初めて通して読ませていただいた。通して、と言っても、それらの雑誌に掲載されている氏の作品だけの話である。頂いたとき、添えられたお手紙だけに注意が向かい(安藤昌益についての貴重なご教示で、これについてはすでに報告済み)、氏の作品は後でまとめて読もうと思いながら、机脇に積まれた本の山にまぎれてそのまま忘れてしまったのである。
 まず「新現代詩」七月夏号に掲載された氏の「99年間租借密約 うちのアナクロテレビ チャンネル5」に圧倒された。六ページにも及ぶその長詩は全編みごとな相馬弁で書かれている。私もときどき相馬弁を使うことがあるが、実はかなり怪しい相馬弁である。氏は岩手県江刺郡岩谷堂町の生まれで、相馬弁はいわば外国語のはずだが、かえってそのことが相馬弁に対する氏の耳を鋭くしたに違いない。私もいわゆる道産子だから、同じことが言えるはずなのだが、十一、二歳ごろから相馬に暮し始めたので、いわば馴れ合いの関係となって、相馬弁に対する感覚を鈍磨させたのかも知れない(いや、単なる不注意、聴覚の鈍さという個人的な理由からかも知れない)。
 相馬弁を駆使しての一種の戯れ歌のかたちを取っているが、内容は日米安保条約やら沖縄基地問題に対する異議申し立てという重い主題を持っている。
 ■氏は詩人であるから、とうぜんその思いの表現形式は詩作品のかたちをとるが、しかし氏の書かれるエッセイのどれも、高いボルテージが漲っている。「詩と思想」七月号に掲載されている「原発地帯に《原発以後》なし?!」には衝撃を受けた。以前から原発に対する氏の深い憂慮は、数々の詩作品に表現されてきた。1988年の『海のほうへ海のほうから』以来、原発反対、戦争反対の軸は微動だにせず、作品ごとに一層の深化と広がりを見せてきた。
 氏の散文の力は、もちろんその思想の深さからのものだが、毎回しっかりと事実を積み重ねての力でもある。この場合の事実とは、氏がたとえばチェルノブイリ視察調査団への参加したとか、東電福島第一の大熊町と双葉町が柏崎刈羽と同じ緯度上に位置していることに衝撃を受けて書かれた『北緯37度25分の風とカナリア』が実際にその緯度上の町々を実地検分した上での作品であることなどを意味している。腰が重い私などにはとても真似できない実行力というか身軽さが氏の作品をさらに説得力あるものにしている。
 そのことを明らかに示しているのは、「新現代詩」の二月号に載せた「北川多紀とそのふるさと」である。詩人北川冬彦自身のことさえあまり良く知らない私が、その夫人(旧姓・林サキイ)が相馬の出であることなど、もちろん知る由もない。しかしその多紀夫人の正確な出生の地はこれまで明らかにされてこなかったらしく、■氏は多紀夫人の詩作品を読み解くかたちでそれが相馬郡上真野村小池(現、南相馬市鹿島区小池)であることをついに突き止める。その推理と実地検証の過程を述べるくだりが実に面白い。そして北川冬彦夫人としてだけでなく、自身も詩人で、詩集も『愛』と『女の桟(かけはし)』などを残して二〇〇〇年八十八歳で死んだ郷土の先輩詩人が無性に読みたくなった。

 それで例の仕事ですか? 今日も踏ん切りがつきませんでした。面目ない。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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