予防注射

考えてみれば、ばっぱさんを一年近く I クリニックに連れていかなかったことになる。その間、毎月の私の検診の時に3種類ほどの薬をもらってきたが、ありがたいことに特に悪いところもなく一年が過ぎたわけだ。昨年の今ごろだったろうか、新型インフルエンザとかが騒がれていたので、それまで毎月連れて行っていたのを、むしろ感染が怖いから、本人はとうぶん連れてこなくてもいいです、と言われたのだった。年が明けてからも、時おり部屋で夜間、転ぶこともあったが、骨が丈夫なのか、たいていは擦り傷ですみ、そしていつの間にか一年が過ぎてしまった。
 ときおり、やはり心配になるのか、病院に行かなくてもいいべか、などと不安を口にするが、その度に病院というところは「どこか悪いところあっぺか」なんて聞きさ行くところじゃない、世の中にはここが痛い、あそこが痛い、って苦しんでいる人がいっぱいいるんだぞ。そりゃ九十八にもなるんだから、ぴょんぴょん歩くわけにもいかねべけんちょも、押し車おして歩けんだから、ぜいたく言わねでくいろ、と発破をかけてきた。
 しかしそろそろ風邪も流行りだすころだ。電話で聞いてみると、もう新型インフルエンザの注射はできます、ということなので、急遽連れて行くことにした。受付で、今日は混んでいるので、待ち時間に家に帰られたらどうですか、と言われたのだが、ばっぱさんを簡易車椅子に乗せ、美子の手をひっぱって行き帰りすることを考えたら、そのまま待っていたほうがいい。で、結局すべて終わるまで二時間を越えてしまったが、仕方のないことだ。
 ばっぱさん少々血圧が低いがとくに悪いところもない、ただ念のため血液検査をしてもらうことになった。インフルエンザの予防注射は美子も入れて三人、皆六十五歳以上なので、一人千円で済んだ。ただばっぱさん、なんだべ時間かかっこと、とかいつものとおり文句たらたら。それで施設に送り届ける途中、こんこんと説教する。
 ばっぱさん、それはねえべさ。ええか、ばっぱさんをクリニックさ連れていくために、なんの関係もない美子までが、文句一つ言わねで、ほれみろ、悪い顔一つしねえで付いてきてんだぞ。このごろ会うとかならずグチだべ、でもなあ、施設の他のばああさんたち見てみろ、S さんや、いつもばっぱさんの前にいる人(名前を忘れた)なんか会うたび、にこにこしてんだぞ。それに比べっと、なんだべばっぱさん、いつも不満ばっか、くそ面白くもねっちゅう顔して。
 すると後部座席から、悪かった、心入れ替えっから、もう文句言わね、と殊勝なへんじが返ってきた。あれっと拍子抜けしたが、ここは甘くしてられない、と心を鬼にして(本当ですかー、ほんとは鬼じゃないすかー)、いつも口ばっかし、ほんとに心入れ替えてくれろな、と返した。
 九十八歳の老婆をつかまえて、少々手荒すぎたか。でも明日死ぬと分かってても、言わなくちゃならないことはビシッと言いますよ(本当ですかー)。まっ、これはカンフル剤よりばっぱさんの活性化(?)に効きますです、はいっ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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