トゥーラ叔母さん

昨日、何気なくテレビを見ていたら、やけに日本語の達者な老外国人が日本の政治や経済についてインタビュアーに応えている。なかでなるほどと感心したのは、フランス革命の「自由、平等、博愛」の博愛はもっと正しく訳すと同胞愛ではないか、と言ったことである。なるほど原語のフランス語の fraternité は兄弟愛とか同胞愛のことである。博愛(フランス語に philanthropie という言葉が別にある)は「すべての人を平等に愛すること」で、やたら抽象的というか、まるで神様以外にはとても実践できないような高度の愛を意味している。いやそれが理想だから、目標は高ければ高いほどいい、と言うのであればそれでいいのだが。どちらにせよ、同胞愛とはかなり違うし、誤訳とは言えないまでも不適切訳であることには間違いない。
 いや待てよ、ドーア先生の言いたかったことは、フランス革命の限界に話を持っていくためだったかな。なぜかと言えば、若い日の周恩来が、フランス革命の真価は二百年(だったか)経たないと分からない、と言った話をしたあとだったから。つまりフランス革命はせいぜい同胞愛に留まっていて、人類愛(なるほど博愛の別名だ)には遠く及ばなかった、という話だったか。もしそうだとしたら、前言を取り消して、私もその説に賛成する。非戦の思想と同じく、まさに人類愛が世界平和の根幹になければならないから。実現不可能だなんて初めから決め付けてはいけないのだ。つまりフラテルニテーを博愛と訳したのは、実は大変な先見の明だったわけだ。
 ところで後で調べて、その外国人がロナルド・ドーアというイギリス人で、ロンドン大学東洋アフリカ研究学院で日本語を専攻し、後に東洋アフリカ研究学院、ブリティッシュコロンビア大学、サセックス大学、インペリアル・カレッジ・ロンドン、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学などに勤めた人であることが分かった。日本語が達者なのもうなずける。
 いやなぜ彼のことを持ち出したかと言うと、(いつもの通りものすごい回り道だが)、昨日の叔母さんの話で、スペインでは彼女のように結婚しないで兄弟の家族を支えて一生を終える女性が珍しくない、と書いたとき、頭のどこかでウナムーノの小説『トゥーラ叔母さん』のことがあったからである。
 いやそれではまるで繋がらない。間にかなりの数のミッシングリンクが必要だ。それでは順序を追って繋いでいこう。で、その小説のことを思い出したのではあるが、恥ずかしいことに、えいっ思いきって白状するが(そんなことは他にもまだゴマンとある)まだ読んだことがないのだ。たぶん日本では(?)ウナムーノ研究の専門家と見られることの多いこの私めが、彼の代表作の一つ『トゥーラ叔母さん』が未読のままなのだ。
 それで今日、書棚からスペイン語全集(エスセリセール版)を取り出してきて、ひろい読みした。ひろい読みしたわけは、この小説が二人姉妹の一方が、もう一方の家族を未婚のまま面倒を見る女性の物語のはずだというおぼろげな記憶をひとまず確かめる必要があったからだ。幸い、その記憶は間違っていなかった。それで、小説が始まる前の著者まえがきとも言うべきかなり長い文章(さすがにウナムーノも「読者は飛ばしてもいいプロローグ」という題をつけている)、を読んでいくと、聖女テレサやドン・キホーテに触れたあとで、兄弟愛・兄弟関係(スペイン語では fraternidad)に話が及んでいるのだ。あゝやっとここで話が繋がった。

 ウナムーノの話を要約すると、兄弟愛(fraternidad)という言葉は使われるが、姉妹愛(sororidad)と言う言葉は存在しない。しかし人類最初の犯罪がカインによるアベル殺しつまり兄弟殺し(fratricida)であったように、兄弟関係(fraternidad)は容易に暴力や戦争に傾斜する。しかし人類の発展や平和は、母性や姉妹愛に支えられてきた。「列王記上」の処女のままダビデ王に仕えたアビシャグのように、ときに母性を犠牲にしてまで王国の未来に賭けた女性もいる。そしてこの一編をアビシャグに捧げると締めくくっている。
 ところでここまで書いてきて、まだ分からないのは、タイトルの『トゥーラ叔母さん』のトゥーラという名が、二人姉妹のローサとヘルトルーディスの後者の愛称らしいのだが、どうしてそう呼ばれるのかということ、つまりトゥーラはヘルトルーディスの一般的な愛称なのか、それとも小説の中の彼女だけの個人的な愛称なのか、ということである。辞書にも百科事典にも出ていない。こんなとき、ネイティブが傍にいると即座に…とここで、帰化はしたが元アルゼンチン人の友人オエストさんを思い出して電話した。答えはやはりスペインでは一般的な愛称だろうということ、ただしアルゼンチンではトゥーロとかトゥーラはすこし頭がおかしい人の意味になるとか。なおスペイン人に友人にもっと詳しく聞いてみるとのこと。おかげで久しぶりに電話で互いの近況を話し合うことができた。
 あれっ、君子おばさんのことはすっかり忘れていた。まあ頭のいい人なら、このしっちゃかめっちゃかな話の筋をなんとか繋ぎ合わせてくれるでしょう。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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