今週の日曜、久しぶりの地方選挙があった。福島県知事選挙とわが町・南相馬市の市議選である。我家は通りから少し奥まったところにあるので、うるさい舌戦の被害は無かったが、通りに出ると相当なものだったらしい。知事選の方は現職と、対立候補は共産党からの一人だけだったから、勝敗は初めから決まっていて、まことに張り合いの無い選挙となった。しかし市議選の方は、定員24名のところに立候補者30名という微妙な数字で、みな必死のようだった。
投票会場は我家から歩いてすぐの第二小学校体育館であるが、実は昼近くになっても投票に行くかどうか決めかねていた。美子と一緒に投票するのがなんとなく億劫に思えたからだが、ばっぱさん訪問の時間が近づいてきたとき、やはり行くべきだと思った。こういうものは、可能な限り参加した方がいい、社会との繋がりは大事にした方がいいと思えたからだ。車で行って、美子と手を繋いで投票を済ませた。
二、三つながりがあった候補者がいたが、九条や原発に対する態度がはっきりしている人を選んだ。南相馬市のような地方都市にとって、いわゆる経済的活性化が焦眉の急ではあるが、先の二つはそれ以前の大前提となる問題であって、そこらへんを曖昧にして「町興し」などされたら、利権争いや環境破壊への傾斜を深める危険の確率が高くなるだけで、長い目でみればいいことはない。それなら「しっとりと落ち着いた町づくり」の方が数段望ましい。
有権者数が五万八千くらいなので、結果はすぐ判明するはず。私としては珍しく、市のホームページの「選挙速報」なるものを時々見ていた。ところが最終結果が出るはずの午前一時をまわっても、前夜、つまり選挙当日の午後十一時半から数字が動かない。朝になってもそのまま。あまりのとろさに、ホームページの書式にしたがって意見したがそれでも動かず。回答をお望みの方は市長宛のメールをどうぞ、と書いてあったので、そちらの方にも意見を出しておいた。
それは昨一日のこと。さて今日になってもホームページには一切の変化が見られない、さすがに腹に据えかねて市役所に電話すると、それは選管の管轄ですから、とたらい回しにされそうになる。まっこちらはどこの管轄でもいいので、選管の係りと話をする。数字が確定した段階での報告はしてますが、などと間の抜けた返事。いやいや、数字が並んでいても当確の表示がきちんと出されていないかぎり、ただ数字の羅列を見ただけでは判断のしようがないですよ、と少しきつい調子で反論。
それは今日の午後のこと。そして夕食後にホームページを覗いてみたら、「選挙速報」の文字が消え、ようやく「投票結果」という表示に変わり、候補者の名前の前に「当選」という文字が加えられた。そうそれでいいのよ。でも二日後にやっと報告するくらいなら、わざわざネットを使って「選挙速報」などと看板掛けないでもらいたい。
この一連のやり取りで、久しぶりに瞬間湯沸かし器が沸騰した。そして不思議なことになんとなく自分が生き生きしているのだ。やっぱ時々怒らなくては調子が出ないらしい。そういう体質になっているらしい。これからも時々怒ろうっと。
-
※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
キーワード検索
投稿アーカイブ
-
最近の投稿
- 再掲「双面の神」(2011年8月7日執筆) 2022年8月25日
- 入院前日の言葉(2018年12月16日主日) 2022年8月16日
- 1968年の祝電 2022年6月6日
- 青山学院大学英文学会会報(1966年) 2022年4月27日
- 再掲「ルールに則ったクリーンな戦争?」(2004年5月6日執筆) 2022年4月6日
- 『或る聖書』をめぐって(2009年執筆) 2022年4月3日
- 【ご報告】家族、無事でおります 2022年3月17日
- 【3月12日再放送予定】アーカイブス 私にとっての3・11 「フクシマを歩いて」 2022年3月10日
- 『情熱の哲学 ウナムーノと「生」の闘い』 2021年10月15日
- 東京新聞コラム「筆洗」に訳業関連記事(岩波書店公式ツイッターより) 2021年9月10日
- 82歳の誕生日 2021年8月31日
- 思いがけない出逢い 2021年8月12日
- 1965年4月26日の日記 2021年6月23日
- 修道日記(1961-1967) 2021年6月1日
- オルテガ誕生日 2021年5月9日
- 再掲「〈紡ぐ〉ということ」 2021年4月29日
- ある追悼記事 2021年3月22日
- かけがえのない1ページ 2021年3月13日
- 新著のご案内 2021年3月2日
- この日は実質父の最後の日 2020年12月18日
- いのちの初夜 2020年12月14日
- 母は喜寿を迎えました 2020年12月9日
- 新著のご紹介 2020年10月31日
- 島尾敏雄との距離(『青銅時代』島尾敏雄追悼)(1987年11月) 2020年10月20日
- フアン・ルイス・ビベス 2020年10月18日
- 宇野重規先生に感謝 2020年9月29日
- 保護中: 2011年10月24日付の父のメール 2020年9月25日
- 浜田陽太郎さん (朝日新聞編集委員) の御高著刊行のご案内 2020年9月24日
- 【再録】渡辺一夫と大江健三郎(2015年7月4日) 2020年9月15日
- 村上陽一郎先生 2020年8月28日
- 朝日新聞掲載記事(東京本社版2020年6月3日付夕刊2面) 2020年6月4日
- La última carta 2020年5月23日
- 岩波文庫・オルテガ『大衆の反逆』新訳・完全版 2020年3月12日
- ¡Feliz Navidad! 2019年12月25日
- 教皇フランシスコと東日本大震災被災者との集いに参加 2019年11月27日
- 松本昌次さん 2019年10月24日
- 最後の大晦日 2019年9月28日
- 80歳の誕生日 2019年8月31日
- 常葉大学の皆様に深甚なる感謝 2019年8月11日
- 【再掲】焼き場に立つ少年(2017年8月9日) 2019年8月9日
- 今日で半年 2019年6月20日
- ある教え子の方より 2019年5月26日
- 私の薦めるこの一冊(2001年) 2019年5月15日
- 静岡時代 2019年5月9日
- 立野先生からの私信 2019年4月6日
- 鄭周河(チョン・ジュハ)さん写真展ブログ「奪われた野にも春は来るか」に追悼記事 2019年3月30日
- 北海道新聞岩本記者による追悼記事 2019年3月20日
- 柳美里さんからのお便り 2019年2月13日
- かつて父が語っていた言葉 2019年2月1日
- 朝日新聞編集委員・浜田陽太郎氏による追悼記事 2019年1月12日
- 【家族よりご報告】 2019年1月11日
- Nochebuena 2018年12月24日
- 明日、入院します 2018年12月16日
- しばしのお暇頂きます 2018年12月14日