かさこそ

午後いつもの通り、ばっぱさん訪問の前に、夜ノ森公園を散歩する。一度美子の帽子が吹き飛ばされるほど風が強かったが、冷たくはなかった。枯れ葉の上を歩く。かさこそかさこそ。世界の言語に通じているわけではないので確かなことは言えないが、日本語の擬音語(オノマトペ)は実に豊富ではないか。たとえばこれを英語ではなんと表現するのだろう。わりと大きな和英辞書を「かさこそ」で引くと、rustle と言う動詞が出てくる。「プログレッシブ英和中辞典」には、こんな例文が載っている。

 The gentle wind rustled in the reeds.(そよ風でアシがカサカサと鳴った。)

 スペイン語でも、動詞で表現するようだ。Susurrar あるいは crujir であろうか。しかしあの乾いた落ち葉の立てる音は、かさこそ、がいちばん原音(?)に近いのではないか。
 夕陽の中、今日は小さな遊園地にも子供たちの姿はなく、陽だまりのベンチの上にも老人たちは坐っていない。散歩といっても低い丘の上を一周して降りてくるだけだが、いつもは犬を散歩させる若い娘や、幼い子供を遊ばせるお母さんたちと出会うのだが、風が強いためかそのいずれとも出会わない。
 なだらかな坂道を降りて駐車場に戻る途中に、樹齢何百年という大きな銀杏の樹が大地にどっしりと太い(三人の大人が両手を繋いでやっと輪ができるほどの)幹を据えている。とうぜん、あの大好きな与謝野晶子の歌が思い出された。

     金色の 小さき鳥のかたちして
        銀杏散るなり 夕日の岡に

 実は散歩をしながら、もう一つの作品を思い出していた。賢治の「どんぐりと山猫」である。晶子の歌は、たしか教科書で初めて読んだような気がするが、賢治の童話もそうだったか。賢治はいつかじっくり読み直したいと思う作家の一人だが、「どんぐりと山猫」はまさに今日読まなければならない。帰宅後、すぐ下の書庫に探しに行った。今日は案外早く見つけることが出来た。筑摩書房版『宮沢賢治全集』第十三巻である。
 冒頭の山猫の手紙からして、すでに賢治の世界がしっかり始まっている。

かねた一郎さま 九月十九日
あなたは、ごきげんよろしほで、けつこです。
あした、めんどなさいばんしますから、おいで
んなさい。とびどぐもたないでください。
                山ねこ 拝

 なんて個性的な手紙だろう。そしてなんと見事な導入部だろう。いつのまにか読者は、すきとほつた風がふき、白いきのこが、どつてこどつてこと変な音を打ち鳴らし、ぴかぴかひかるどんぐりたちが訴訟を起こし、別当の山猫が時おりひゅうぱちとむちを鳴らす法廷劇に立会い、そこになんの違和感も覚えない。一気に賢治ワールドに巻き込まれてしまうからである。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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