確かあれは visitatio と言ったはずだ、数年に一度の管区長の視察あるいは巡察のことを。一年間の修練を終えて、キリスト教会史やギリシャ語の勉強などをする中間期のときだった。当時の管区長は、後にローマのイエズス会総長になったペドロ・アルーペ神父。修練を終えたばかりの、卵の殻を破って出てきたばかりの若造たちにも、面接の機会が与えられ、近況報告だけでなく、なにか希望がれば言ってもいい、と言われた。
あのころ、死ぬのはまったく怖くはなかった。毎朝五時の起床の後、真冬でも冷水でシャワーを浴び、上半身裸のまま小高い山あいの運動場に駆けていき、体操をして体を鍛えた。出来れば殉教者になりたかった。黙想のための尊師の講話(確か puncta と言ったか)で聞いた中共の洗脳の話、つまり竹かごの中に押し込められての拷問、のシーンがしばらく頭から離れなかった。
中共の支配する中国潜入は、中国語が出来ないから無理。それなら大学で勉強したスペイン語を使って、どこか南米の国…うーん殉教の機会はないか、それならせめてジャングル奥の秘境での宣教に参加するか…それは一日きっかり十五分のシエスタのまどろみの中での妄想だったか。しかしその面接のとき、自分はスペイン語を勉強したので、ぜひ南米に行かせてほしい、と進言したのは本当である。そしてやんわりと却下された。
だから後年、映画『ミッション』(The Mission)を観たときは胸苦しいような感動があった。もちろん時代はずっと昔、1750年代の話である。舞台はスペイン植民治下の南米・パラナ川上流域(現在のパラグアイ付近)で、そこの先住民グアラニー族に対するキリスト教布教に従事するイエズス会宣教師たちの実話に近い物語である。監督はローランド・ジョフィ、主演はジェレミー・アイアンズとロバート・デニーロ、音楽はエンニオ・モリコーネ。1986年度カンヌ国際映画祭パルム・ドール、アカデミー撮影賞、ゴールデングローブ賞脚本賞を受賞した秀作である。
数年前、ネットの古本屋から『ミッション』という本を買った。映画の脚本を書いたロバート・ボルトの小説である(森村裕訳、ヘラルド出版、1987年)。ボルトは「アラビアのロレンス」「ライアンの娘」「ドクトル・ジバゴ」などを手がけた英国マンチェスター出身のすぐれた脚本家らしいがまだ読んでない。読まない方が正解かも知れない。つまりそれだけ映画が優れていたということだ。
ともかく主人公たちの生き方に感動したのは、彼らがたんにキリスト教を布教したのではなく、スペインやポルトガルに抗してまで、インディオたちの自主独立の生活共同体建設を目指したからである。そして最後、彼らは愛するグアラニー族と共にスペイン・ポルトガル連合軍の銃弾に斃れる。パラグアイのミッション(スペイン語ではレドゥクシオン)は、当時のヨーロッパ知識人たちから強い関心を寄せられ、トマス・モアの「ユートピア」やカンパネッラの「太陽の都」が謳った理想郷に匹敵すると賞賛する人もいたと言う。しかしこれを妬む人たちの反イエズス会のうねりが次第に高まり、まずポルトガルとフランスからイエズス会士が追放され、そして1767年にはついにスペインからも追放される。そのとばっちりを受けて翌68年には、パラグアイのすべてのミッション(伝道村)からも追放された。
殉教の道を絶たれた(?)若き修道士は、さてどんな道を選ぶのだろうか。
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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