イサベル・アジェンデがアーサー・ビナードの後を襲って、机脇の本棚に居据わっている。きっかけは先日話したとおり、映画『愛と精霊の家』だが、いま私のところには、それのスペイン語原書と木村榮一訳(国書刊行会、1994年新装版)、さらに『パウラ、水泡なすもろき命』(菅啓次郎訳、国書刊行会、2002年)、『神と野獣の都』(宮崎壽子訳、扶桑社ミステリー、2005年)が加わり、そして今日また『ゾロ』(下、扶桑社ミステリー、2008年)が届いた。『パウラ』のスペイン語原書は今日アメリカから発送されたそうだし、『ゾロ』の上巻も明日あたり届くことになっている。
やらなければならぬ仕事(『大衆の反逆』の推敲)や読まなければならぬたくさんの本(とりあえずはイエズス会関係の本や、ジョイスとアヤラの小説)があるというのに、どうしてまた読めもしない本を手に入れる? 分からない、勢いでこうなってしまった。安く(あるものは送料だけ)手軽に手に入る仕組みになっているアマゾンが悪い。
でも読みたいと思って注文しているのだ。二つの娯楽小説はともかく、『精霊の家』と『パウラ』はどうしても原書で読みたくなった。翻訳の方もちらっと見ただけだが、なかなかいい訳のようだ。ただし『パウラ、水泡なすもろき命』というタイトルは、やはり説明過多であろう。「水泡…」は、「水泡(みなわ)なすもろき命も栲縄(たくなわ)の千尋(ちひろ)にもがと願ひ暮しつ」という『万葉集』(902)に出てくる言葉だが、なにか皮膚病の一種と間違われそうだ。ついでだから調べると、「栲縄」とはコウゾの繊維で作った縄のことで、「長き」や「千尋」にかかる枕詞。
『ゾロ』を買う気になったのは、大ロマン小説家となったアジェンデが、なぜ怪傑ゾロなどという他人が作ったヒーローを自作の主人公にしたのか興味があったからである。と言いながら怪傑ゾロは、スペイン語の学生に、アラン・ドロンやアントニオ・バンデラスの扮したかの有名な怪傑ゾロは、実はスペイン語の zorro、つまり雄狐のことなんだ、と教えながら、米国人作家ジョンストン・マッカレーが1919年に発表した原作など読んだこともなかったからである。
そして『神と野獣の都』(原題に「神」はないので、訳者がなぜ「神」を加えたのか不思議だが)は、ここまで(?)アジェンデに関わったのなら、彼女の幻想冒険小説とやらも読んでみようではないの、と軽い気持ちから注文した。近ごろ大流行のハリー・ポッターものなど本も映画も読む気も観る気もしないが、『精霊の家』や『パウラ』の作者がどんなファンタジーを織り成すのか、興味があったからである。で、最初に読み出したのが『野獣の都』である。
とりあえず表紙裏の宣伝文をご紹介しよう。「母の病いに心を痛める、15歳の少年アレックス。そんな彼が、作家の祖母に連れられ、アマゾンへの探検に参加する羽目になった! 目的は、密林の奥に住むというなぞの人間型生物<野獣>の調査…」。出だしからなかなか面白そうなのである。最近、馬鹿なテレビ番組を見る以外、娯楽・気晴らしのたぐいからは一切遠ざかっているので、ここらで冒険小説の一つや二つ、子供時代に戻った気で楽しむのもいいかも知れない。
【息子追記】立野正裕先生(明大名誉教授)からいただいたコメントを転載(2021年3月12日記)。
アジェンデの小説は翻訳を一、二冊持っているくらいです。先生がハリポタなぞ読む気も映画を見る気も起きないと言われることに、なんとなくニンマリ。
それにしても、ほかにやるべき仕事がありながら、本を勢いで買ってしまうと言われる先生に共感を禁じ得ません。この「勢い」がエネルギー源だったのですね。