あゝ、しんど!

今日は二つも腹の立つことがあって、いま(夜中の零時十分)になっても、つまり途中夕食があったり、美子と一緒にスペイン語教室に行ったり、そして帰宅後にテレビでアジア大会のサッカー決勝戦で日本が優勝するのを見た後でも、頭の周りに怒りの薄雲が棚引いている感じ。
 一つ目は、今日の昼ごろ、ネット古本屋からアーサー・ビナードの『空からきた魚』(集英社文庫)が届いたのだが、なんとそれは数日前にやはり古本屋から取り寄せた『空からやってきた魚』(草思社)と内容がまったく同じものなのだ。今回、ネットで注文するとき、題名が似ているので、もしかして同じものかな、と迷ったのではあるが、まさか「やってきた」と「きた」は明らかに違うので別物だろうと注文してしまったのだ。
 『日々の非常口』は最後まで面白かった。それで、『空からやってきた魚』と『日本語ぽこりぽこり』(小学館)も取り寄せ、そして迷いに迷って『空からきた魚』まで注文したのだ。確かに『空からきた魚』の見返し裏(あそび)に「本書は…草思社から刊行された『空からやってきた魚』を改題し、加筆修正を加えたものです」とことわってはいる。しかし見た限り収録作品はまったく同じ、修正も字句の訂正がほんの少しあるだけ。本屋さんで手にとって見るのでない限り、ネットでタイトルだけで判断する読者が迷うのは当たり前。
 出版元の集英社は、改題して出す場合は、カタログにその旨きちんとことわるべきで、迷った末に取り寄せた読者は私だけでないはず。ビナードさんはこのことをどう思っているのだろう。せっかくお友だちになりたいとまで思った(もちろんそれはこっちの勝手だが)のに、少しがっかりしている。たぶんこれについては折を見て集英社に抗議することになるだろう(疲れるからやめるかも知れない)。
 以上はちょっぴり残念といった程度のことだが、もう一つの方は、久方ぶりに瞬間湯沸かし器が沸騰した事件である。かいつまんで言うとこういうことになる。四日ほど前、北海道は稚内の従姉にレターパックで本を送った。それぞれが固有の番号が付いていて追跡が出来る例の速達便である。普通は引き受け時間、次いで到着時間、そして最後にお届け済みの時間がパソコン上に表示されることになっている。
 ところが翌日になっても何の表示もされないので、局に電話で問い合わせたところ、すみません、係りの者は午後の出勤なので、午後に改めてご連絡します、との間延びした返事。そして午後遅く電話が来て、申し訳ありません番号を記録するのを忘れました、との報告。係りの者がいないと分からないというのもちょっと変だが、まあ、忘れたならしゃーない、とその時は了解。
 そして昨日、千葉の方に別のレターパックを送った。午後三時に投函すると、これまでだと午後五時の便で送るらしく、「引き受け時間五時」の表示が出るはずなのにまたもや無表示。ちょっと腹が立ったが、まあまあ今日のところは我慢。そして翌日、つまり本当の今日になった。十時ごろ局に電話を入れると、ちょっと調べますので、お電話番号教えてください、折り返しご連絡します、との返事。何を調べる? ただ記録しなかっただけだろう、と思ったが、ともかく連絡を待つことにした。ところがその後何の連絡もない。業を煮やして正午前にもう一度電話を入れる。すると今度は若い女が出て、すっごく明るい声で、それでは調べてみますのでお電話番号を…さきほどと同じ応対。こちらの湯沸かし器がポコッと泡立ったが、今回も抑え、ともかく早く返事ください、と言うしかない。
 昼が過ぎ、ばっぱさん訪問の時間、よしこうなりゃ途中、局にねじ込んでやれ、と車に美子を残して局に寄ってみる。窓口の女性にレターパックのことで来ましたが、と言うと、あっそれは日本郵便さんの方で、あのドアを出て左側に進んでください、と言う。またもや民営化のとばっちりだ、どこまでが○○で(名前も忘れた)どこから日本郵便さんなのか素人には分かりかねる。
 さて日本郵便の窓口には課長さんが出てきた。今回の顛末を説明すると、申し訳ありませんでした、それでお客様はこれからお宅にお戻りになられますか、と聞くので、いやちょっと行くところがあるから家には四時半以降に戻ると言うと、私も私用でこれから外出するので、それでは五時ごろご連絡します、とのこと。(なんでわざわざ「私用」なんてトンマなこと言うだべ)
 あゝ疲れた、こんなこと書くの馬鹿らしいがここまで来たのだから続ける。五時ちょっと前、来ましたよ電話が。調べてみましたら、どうも記録するのを忘れたらしい(そんなことは先刻ご承知だわい!)のです、すみませんでした、お客様の応対をした者たちにも今後このようなことが無いよう注意しましたので…ここで湯沸かし器、完全に沸点に達する。
 何をとろいこと言ってますかねー、あのねー三日前にも同じことがあったんですよ、ふつうなら、そのときから再発防止の徹底がなされますよ。いやいや私が怒っているのは、記録ミスのことより、お宅の社員の応対がデタラメなところですよ。折り返し電話します、とあっかるーい声で言いながら、そのことはすっかり忘れて、お弁当を食べ、お茶を飲み、ウンコかオシッコをして(まさかそれは言いませんでした)…それで何を調べたって言うの、たんに記録を忘れたってことだけでしょ。
 私の言うのはですね、お宅の、少なくともレターパックのシステムは機能してないってことですよ。レターパックなんて扱う資格なしってことですなー。アホらしくなってきました。サービスっちゅうもんはですね、あっかるーい声で調子のいい言葉を吐き散らすことではなくて、キッチリするべきことをすることですぜ。まっ、帰って社員教育を徹底することですな…
 あゝ疲れた、もうやーめた。アホらしい。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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