ありがたーいお話

なぜ人は糞尿譚で思わず顔をゆるめるのだろうか。ドリフターズの加藤茶がウンコとオシッコの話をすると、世の道学者(なーんて正式の道学者なぞ今はいないが)は顔をしかめたけれど、そのとたん間違いなくドカンと笑いをとることができたのはなぜか。物心がつくかつかないうち、つまり善悪の判断がまだつかない純心な幼児が、なぜウンコという言葉にあれほど目を輝かせて反応するのか。昨日紹介した『滑稽糞尿譚』の中に、渡辺一夫の「糞尿薬の話」など哲学的・人文学的考察が紹介されているから、興味のある方はぜひお読みいただきたい。
 学術的とはほど遠い、純粋に滑稽話をご所望の方は、巻頭の吉行淳之介の「追いかけるUNKO」をどうぞ。面白くて悲しくて、そして切ない話である。元は二ページ半の小話だが、それをさらに縮めて紹介すると、一人の若い男が恋人に愛を打ち明けようと、小舟に乗せて湖に漕ぎ出したはいいが、運(ウン)の悪いことに湖の真ん中でものすごい便意を催した。それで咄嗟の機転で、「ぼかあ、突然、泳ぎたくなってきたぞ」とブリーフ一つになって飛び込み、片手をボートの端にかけて立ち泳ぎしながら、そろりとブリーフをずらして排便するのだが、金魚の場合と同じ理屈で、水の中では途中で切れなく、彼女の驚きの叫びの中、ながーいウンコが男の後を追いかけてくる、という話である。
 そんな糞尿譚を26人の名だたる作家たちが披露していて、落ち込んでいるときなどには格好のカンフル剤になること請け合いである。その中の一つ山田稔の「スウィフト考」にも紹介され、自身も「ゾウの大グソ」を書いている中村浩という人の話も科学的ではあるが実に破天荒である。いや昨夜紹介した彼の『糞尿博士・世界漫遊記』も実に面白い。彼は糞尿を食料に変化させる方法を探し求めて、ついに糞尿を培養基として、緑の高蛋白質クロレラを培養することに成功した人なのだ。ここまでくると、ウンコを馬鹿にした者はウンコに泣く、という次元の話になって、ウンコは一気に世界食糧危機の救世主へと格上げされる。
 ところで今ふと気づいたのであるが、これらの本を買ったのは実は私ではなく美子だということである。お上品ぶって糞尿譚など見向きもしなかった私に、折に触れてその面白さ・魅力に開眼させてくれたのは他ならぬ美子であった。そうだよな、どんな聖人君子、どんな美人も、一日何回かは厠(かわや)で神妙な顔をしてウンコをひり出してるの図を考えると、とたんに四海同胞、悉皆成仏の大合唱が聞こえてくるようで、ありがたーい気持ちになるではないか。
 いやその効験はこの地球上にかぎりませんぞい。映画「ET」を観て(といって私はまだ観てませんが)なぜ人々は感動したか。それは宇宙から来たETの顔がまさにUNKOに酷似していて、それで懐かしさと有難さに感動したからですぞい。
 どうしてこう糞尿譚は元気を与えてくれるのでしょう。まだまだ際限もなく続けることが出来そうですが、今回はこの辺でやめておきます。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学など他大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、死去(享年79)
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