現代風綿入れ

今晩の入浴は順調に済ませることができた。美子は今しがた、「化粧水と美容液これ一本ですむ」、という桃色の壜に入った乳液を顔につけ、頭髪は加美之素でマッサージしてもらい、にこにこ顔でベッドに入ったところ。さすがに白髪は増えて時おり染めてやるが、毎朝毎晩乳液をつけているせいか、年の割には肌つやが良く、皺ひとつない。ここ数年、入浴は週一回がせいぜい。以前は毎晩入っていた記憶があるが、週一でもなんら支障はない(?)。歳とともに脂肪分が減り、垢が溜まることも少なくなった(と自分では思っているが)。
 週一回の大仕事はその入浴であり、一日一回の小仕事は排便である。幸い胃腸が丈夫なので下痢をしたことがないのがなにより助かる。ただ大か小か、一切教えてくれないから、トイレでは真剣勝負である。つまり便器に坐らせたあと、ひたすら耳を澄ませなければならない。いや耳を澄ませるだけではいけない。両手を腹部にあてがって、微妙な腹圧の変化を察知しなければならない。長い間待って、結局出なかったときの徒労感、かすかな水音が聞こえたときの安堵感。そこには天国と地獄ほどの差がある。
 昨夜に比べると今夜の寒さはそれほどでもないが、それでも足元の電気ストーブだけでは寒さがしんしんと身に染みる。しかし昨日から穿いている防寒ズボンが大いに役立っている。寒さ対策はいろいろやったが、昨日スーパーで見つけた安い中国製のズボンはかなりいい。黒いナイロン地に、薄い毛布ほどの裏地がついており、寒さを防いでくれる。Lで腰回りは充分なのだが、あえて(と強調するまでもないが)LLを買ってきた。もちろん股下が長過ぎる。本当は長過ぎるどころじゃない。それで昨夜、10センチほど折り返した。といって、外に折り返したのではなく、内側に折り返して、ていねいに糸で縫いつけたのである。
 あゝそうか、よく中国映画などで出てくる綿入れというやつの現代版である。1999年の中国映画『初恋がきた道』(張芸謀<チャン・イーモウ>監督作品)で可愛い村娘の章子怡(チャン・ツィイー)が、もこもこの綿入れを着て恋人を追いかける姿は実に可憐で可愛いかったが、私が着たらどう見たって格好いいわけがない。でもこれを穿いて今日の浮舟の講座に出かけた。だれも変な目で見なかったようなので、明日から外出時にも穿いていこう。今年の冬はこれで乗り切れそうだ。つまり安いといったが本当で、一本(と数えるのかな)950円が2本で1450円に割引され、とうぜん2本買ってきたからである。
 足の短い夫のために、むかしはよく美子が裾上げを喜んでやってくれたものだが、あゝ美子にもそんな時があったのだと思うといささか感慨深いものがある。40年近く夫の面倒を嫌な顔ひとつせずやってくれたのだから、これからの残りの人生、女房孝行してもすべての借りを返せないわけだ。

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佐々木 孝 について

佐々木 孝(ささき たかし、1939年8月31日 – 2018年12月20日)は、日本のスペイン思想研究者。北海道帯広市生まれ。2歳から引き揚げまでの5年間を旧満州で暮らす。1961年上智大学外国語学部イスパニア語学科在学中にイエズス会に入会。5年半の修道生活の後、1967年同会を退会、還俗する。同年上智大学文学部哲学科卒業。1971年清泉女子大学講師、助教授を経て、1982年教授となる。1984年常葉学園大学(現・常葉大学)でスペイン語学科の草創に参加。1989年東京純心女子短期大学・東京純心女子大学(現・東京純心大学)教授。その間、講師として専門のスペイン思想、スペイン語を東京外国語大学、駒澤大学、法政大学、早稲田大学などの大学でも教える。2002年、定年を前に退職、病身の妻を伴い福島県原町市(現・南相馬市)に転居。以後16年にわたり、富士貞房(ふじ・ていぼう、fuji-teivo、――スペイン語のfugitivo「逃亡者」にちなむ)の筆名で、専門のスペイン思想研究を通じて確立した人文主義者としての視点から思索をつづったブログ「モノディアロゴス(Monodialogos: ウナムーノの造語で「独対話」の意)」を死の4日前まで書き続けた。担当科目はスペイン思想、人間学、比較文化論、スペイン語など。作家の島尾敏雄は従叔父にあたる。 2018年12月20日、宮城県立がんセンターで死去(享年79)。
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