どんよりとした雪空の一日。ときおり雪が風に舞った。午前中、愛たちがばっぱさんを訪問してくれたので、午後はゆっくり家で過ごした。読みかけのタブッキ『インド夜想曲』をようやく読み終えた。訳者の須賀敦子が絶賛している作品だが、飛び飛びに読んだせいか、いまひとつぴんと来なかった。合本にした次の作品『遠い地平線』に進もうと思ったが、一休みのつもりで、手元に持ってきていたヘッセの『孤独な魂』と『湖畔の家』を合本にしようと思って見ているうち、『湖畔の家』の裏表紙の裏(?)に「昭和二十九年十一月二十七日協同書店にて購入 迪子」とあった。姉の本である。
昭和二十九年というと、姉は私より二歳年上だから、十七歳。すると地元の中学校を卒業したあと、亡父稔の六歳上の姉道子伯母さんの家から仙台の白百合学園高等学校に通っていたころのものである。そのころ伯母の家は仙台から小さな車両の電車で秋保温泉に向かう途中にあったはずだ。ネットで仙台の本屋さんを調べると、協同書店というのは青葉区中央3丁目にあった店だが、昨今の不況のあおりですでに閉店しているらしい。
伯母さんの連れ合いの金蔵伯父さんは、赤ら顔の恰幅のいい人で、確か近くの発電所に勤めていたのではなかったか。姉を訪ねて行った冬など、キジバトなどを撃つ猟に連れて行ってくれたこともある。子供つまり私たちからすればいとこは三人いたが、姉がお世話になっていたころ、家には仙台高校でラグビーをやっていた利幸さんだけがいて、伯母さんは近所の娘さんたちに和裁を教えていた。
ところで奥付を見ると『湖畔の家』も『孤独な魂』もともに角川文庫で、それぞれ昭和二十九年八月と十月発行となっている。出たばかりのものを購入したらしい。『孤独な魂』はもしかすると私が買ったものかも知れない。一時期ヘッセにこって『車輪の下』、『郷愁』など熱心に読んだ記憶がよみがえってきた。姉の影響だったのだろうか。考えてみれば、その姉は白百合を出たあと、今度は祖父母を頼って帯広の畜産大学に進んだわけだから、思春期の大半を家から離れて過ごしたわけだ。しかしばっぱさんが結核をぶり返して入院したり、家を建ててその払いで経済的に行き詰ったとき、大学を中退して家に帰り、すぐ見合い結婚をしてばっぱさんと同居するようになった。もしかしてそこには、長いあいだ親元を離れていたことへの負い目があったのだろうか。
姉弟でありながら、その辺のことは直接聞いたこともない。いまごろになって、そんなことが気になってきた。いつか聞いてみようか。そしてヘッセを読んでいた頃の自分のことも知りたくなってきた。私の手製の「年譜」では、そのあたりはまったくの白紙が続いている。少し埋める作業をしようか。
それはともかく、まだ見つけ出していない『知と愛』など、ヘッセは主に秋山六郎兵衛というちょっと古めかしい名前の訳者のものを読んだらしい。調べてみると一九〇〇年生まれの九大教授だが、戦後は中大や学習院大で教えた人らしく、他にもホフマンの『牡猫ムルの人生観』も訳しているらしい。つい最近まで猫に囲まれて生活していた者として、その後ぱったり猫とは無縁になってしまったのはいささか淋しい気がしないでもないが、いろんな理由からもう猫は飼わないと覚悟している。でも猫にまつわる文学には興味がある。
私の日本語の師であった広大の故稲賀敬二教授は無類の猫好きで、その「猫コレクション」の中に私の「猫まみれ」なども加えたいただいたし、第一号だけで頓挫した同人誌「午後」の同人でいまもお付き合いのある高田宏さんは『我輩は猫でもある』という傑作を書いておられる。私ももう一作くらい書いてやらねば、死んだ猫たちに申し訳が立たない。『牡猫ムルの人生観』、うむ、なかなか面白そうだ。梗概を読むと、自惚れの強い猫ムルの自伝と、狂死した楽長クライスラーの伝記が、印刷屋のミスで間違って印刷されたという内容らしい。猫と人間の類似から、皮肉でグロテスクな味が醸し出されているとも解説されている。これは読まなきゃなるまい。(いいんすかーそんなに手を広げてー)
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※本文中の太字、朱書き、アンダーライン、マーカー等の処理はすべて、死後、息子によって為されたものです。
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